手話を知らない人も手話を学んでいる人もともに From hand to hand
{特別投稿}ろう教育の常識と前提 故藤井進先生からの伝承
座して待つ、のではなく活路を活路を切り拓く藤井進先生の動を、繰り返すが教師として当然のことをしたと言い切る。
だが、
ろう学校の教師が子どもの言っていることがわからへんと言い、普通校の教師より高額な給与を受け取ることに対して、
子どもが言っていることを全身で受けとめ、子どもたちがわかるように取り組む教育、
この差違を理解しないでろう学校では手話が禁止されていた、口話教育だけだったと単純に理解する人々は、教育担う教師の実像と傾向を見ないで教育行政や政治的動向だけで手話や口話の問題を断定的に理解している。
子どもたちからコミュニケーションを学び
新しい知識と行動を学ぶ創造的領域を
子どもが言っていることを知るために子どものすべてのコミュニケーション方法を子どもたちから学び、そこに新しい知識と行動を学ぶ創造的領域を創りあげることは並大抵なことではない。
が、それが教師の仕事であるという前提に立つのが藤井進先生であった。
このことは、
言うは易く行うは難し
なのである。
ろう学校の生徒と日々会っていて話をすると、必然的に手話を覚える。意図しなくても。
この自明の理を理解していない人があまりにも多い。
では、京都ろう学校では口話教育が行われていたではないか、という人も多い。
ろう学校の教師の教育の
有り様にもっと思考すべき
それは、学校という教育形態と教師のすすめる教育を区別したものではない。
京都ろう学校では、教育形態として、教育制度として、教育方法として口話法を唯一のものとしたのではない。
口話法に傾注する教師は多数いたし、それが強固にすすめられたが、時期、時期で大きな変動がある。
あえて言うなら京都ろう学校の授業拒否事件は、その大きな分岐点の一つであったと言える。
教師たちがすすめた口話教育を、制度としてすすめられたと断定することは出来ない。
むしろ、ろう学校の教師の教育の有り様にもっと思考すべきなのである。
藤井進先生は、新任教師以降ろう学校だけではなく、京都府下の未就学のろう児を尋ねてろう学校で学習出来るようにした。
ろう学校にはじまり、ろう学校だけで終わる思考形態と行動ではなかった。
さらに現状を肯定するのではなく、それまでのろう教育の歴史を踏まえた改善を誰かに言われるまでもなく先鞭切って行動した。