手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

ろう学校 の 生徒 を人間として認めず 能力 を否定する傾向に徹底的に反対し 改めようと

 

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手話を知らない人も手話を学んでいる人もともに  From hand to hand
                {特別投稿}ろう教育の常識と前提 故藤井進先生からの伝承

 

 

 京都の教育のために

  力を発揮してくれと同僚

 

 1965(昭和40)年11月18日 京都府立ろう学校で授業拒否事件から、京都府教育委員会は、京都府教育委員会やろう学校では事態を解決出来ないとして、京都府教育委員会学校教育課の特殊教育・僻地教育の指導主事として藤井進先生を抜擢する。

 

 このことに対して教育の最前線は学校の教育にあると考えていた藤井進先生は、指導主事になることを断ろうとする。

 

 が、京都の教育のために力を発揮してくれ、と同僚の意見もあり結果的に指導主事を引き受けることになる。

 

京都ろう学校の授業拒否事件を内通

 首謀者は二人の教師

としてろう学校教師は山のような文を

 京都府教育委員会に送りつけていた

 

 聾学校14年間勤務して教育委員会の仕事に就く。

 

 指導主事になった藤井進先生が初めて目にしたのは京都府教育委員会京都府立ろう学校で授業拒否事件の首謀者として藤井進先生、村上中正先生をマークしていた公文書、及びろう学校からの「内通者」の手紙や文章の束を見ることだった。

 

 信頼を寄せていた同僚たちまでも、京都ろう学校の授業拒否事件の首謀者は二人の教師であり、その二人の教師が高等部の生徒を扇動して授業拒否事件を起こしたと京都府教育委員会に報告していた。

 

 だが、藤井進先生は、それらの教師は誰であったのか、を一切言わなかった。

 

 ただ非常にショックなことがあったと語っている。

 

生徒たちが意見や行動を起こす能力はない    と決めつける教師の考えにショック

 

 京都府立ろう学校の授業拒否事件は、起こるべきして起きた。

 

 京都ろう学校の根本的問題であった、が、それを高等部の生徒たちが自主的に主体的に根本的問題を指摘したのに、生徒たち自身がそのような意見や行動を起こす能力はない、と決めつけ、その前提で扇動したのはろう学校の二人の教師だとする意見がすべてだったことにある。

 

 生徒たちが主体的に意見を言い、自分たちの意見をまとめて公表する能力などないと断定し、ろう学校の生徒の人間性を否定している処に言い知れぬショックと怒りを覚えた、と藤井進先生は語った。

 

  生徒を人間としてみない
   その能力を認めない

 

 生徒を人間としてみない。

 

 その能力を認めない。

 

 これがろう学校の教師に多数あったのか、というショックは拭えきれないでいる。

 

 すべて生徒の可能性を否定することがあっては絶対いけない。

 

 揺るぎのない対決心をさらに持たなければならないと思い続けたと藤井進先生は語っていた。