手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

気持ちが「ひとつ」になった記念すべき日に

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                                   ある聴覚障害者との書簡  1993年 寄稿
                                                  道路拡張にともなう住民説明会 ③

 

   住民説明会に参加した人たちと
気持ちが「ひとつ」になった記念すべき日

 

 書き付けを振りかざしたろうあ協会の人たちに役所の人がやって来て取り押さえようとした。

 

 それを見た参加者の人が逆に役所の人を制止して会場は騒然。

 

 騒然となったことだけを問題にするのではなく、住民説明会に参加した人たちとろうあ協会の人たちが気持ちが「ひとつ」になった記念すべき日だったのではないでしょうか。

 

 通訳されないなら別の方法で意思表示

 

 力で意見をねじ伏せようとする。

 

 でもそれに対して自分たちの意志を止めない。明るみにする。ろうあ協会の人たちの意見を知って住民の中から連帯が拡がる。

 

 自分たちの意志を表に出すことの重要性。

 

 手話通訳にすべてを依存しない。

 

 手話通訳の人の立場と手話通訳とは何か、をすぐ見抜いて、別の方法で自分たちの意見を表出する。

 

 この知恵とエネルギーを共に大切にしてください。

 

  参加した人の怒り

   通訳することに干渉していません

 

 あなたがろうあ協会の人びとと一緒に役所に行って、手話を手話通訳されなかったこと、必死に書いた書き付けを取り押さえ、取りあげようとしたことは問題だと交渉したことも非常に大切なことだったと思います。

 

 「会場が騒然」となったことには、訳があるのだから。

 

 でも役所の答えは、ひどいですね。

 「手話通訳はろうあ者の人に通訳してもらうので、通訳することに干渉していません」

 「書き付けを取りあげようとしていません。なにが書かれているのか係が見に行っただけです。」

 

 交渉に参加した人が怒ったのも当然です。

 

  このような「言い回し?」「責任逃れのウソ」は、よくあることなんです。残念ながら。

 

 でもそれに負けないでがんばろうと誓い合った人びとに未来が見えました。くやしいだろうけれど。