ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿
手話で会話をしている人たちの手話を
すべて調査・記録・保存・研究・公開
日本では、それらのことがされないまま主観的に経験的に手話を断定されて、と書いたのは、手話で会話をしている人たちの手話をすべて調査・記録・保存・研究・公開されていないからです。
ある国では、手話を徹底的に調査・記録・保存・研究しています。
だが、それは、とての手間と膨大な費用を必要とするからという理由で日本では投げ捨て去られています。
手話は「消されて」しまうのではないか
でも、私は、今からでも遅くない、調査・記録・保存・研究・公開をするべきだと思っています。
公開と書いたのは、一部の人が手話を「独占」したり「勝手気ままな解釈」をしたり手話を「技能習得」としてランク付けしたりしない、などなど日本にする人びとに公開し、手話をみんなで共有するためです。
そうでないと手話は「消されて」しまうのではないかと心底心配しています。
手話で主として会話する人びとの
基本的人権を否定する重大な問題
手話をコミュニケーション手段として認めない「証拠」が、手話の全面調査・記録・保存・研究・公開に表れていると言えば言い過ぎでしょうか。
いいえ、私は、手話の全面調査・記録・保存・研究・公開をしないところに手話否定、手話で主として会話する人びとの基本的人権を否定する重大な問題があると思っています。
残念なことですが、これらを克服してゆくのはあなたたちの時代であると思います。
あなたの聞きたいことに、答えていないと思いますがまた意見を寄せて下さい。
あなたの友人から少し違った質問があり、それに対して書いた手紙のコピ-を同封しておきますので合わせて読んでみて下さい。