ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿
聴覚障害者が学ぶことが大切だというの?という質問は、学校で、という意味も含まれているだろう。
学ぶ機会がいくらでもある
今の時から過去を考えていないか
学校に行けなかったら、学校以外で勉強したらいいと言うかも知れない。
それは、学ぶ機会がいくらでもある今の時から過去を考えていないか。
瀬山君は、ろう学校があることも知らないで育ったが、ろう学校があることすら知ろうとしなかった。そのことで、いろいろな人があなたに話をして考え込んでいたね。
学校がたくさんあって、どこへ行こうかと「迷える」ことの大切さと同時に「迷う」ことすらない時のことを知ることによって、今の君が分かるかも知れない。
ろう学校に入学出来るのは裕福な人たち
ともかく、戦前も戦後も聴覚障害の人が学ぶ場は、限られていた。
ろう学校に入学出来るのは裕福な人たちだった。
戦前は当然のこととして、戦後も。
でもそれが大変革の時期を迎えて、大きく変る。
その後の今があることを知って欲しい。
学ぶ権利は保障されてこそ権利
どこの学校へいこうと権利だ、と言っていたけれどたしかにそうだと思う。
学ぶ権利は本人にあるはずだし、そのように憲法では書かれている。
だがしかし、学ぶ権利は保障されてこそ権利と言えるのではないだろうか。
農村地帯の集落の端の家にすむ聴覚障害者とお母さんには、その保障が生きてはいなかった。
あったのは、「学ぶ権利を投げ捨てる権利」でしかなかった。
この哀しみの事実をしっかり知って、聴覚障害者が学ぶことが大切だ、という意味を先ず噛みしめて欲しいと思う。
沈黙の量がはるかに多い会話の末に
聴覚障害者とお母さんの二人暮らしの家。
あらゆる事の責任が母親の細身に投げつけられていた。
沈黙の量がはるかに多い会話。
しばらくして恐る恐る顔を出した娘さんの顔は、幼さの中に老いが現れていた。
お母さんは、泣くだけで、娘さんは天井を見つめるだけ。
刻々と時間が経ったけれど何も言えなくなってとぼとぼとその家を後にした。
そっとしておいてあげたほうがお二人のために
静かに暮らしてこられたのだから
当然、お母さんと娘さんが今以上の生活が出来るように、その娘さんの未来をどうしたらいいのかと奔走した。
役所も教育委員会も多くの人も
「今のままに、そっとしておいてあげたほうがお二人のためになる。」
「静かに暮らしてこられたのだから、そっとしてあげないと」
と言う。
心の奥底にどっしりした重さが残ったが、それから時間のみが過ぎ去っていった。
それからずいぶん時間が経って、ある聴覚障害者の施設を訪れた。