手話や手話通訳をまったく知らない人に
「手話通訳制度調査検討報告書」を読んでもらう
パンフ作成までのプログラムを次のように組んでみたのである。
第一段階は、ルポライターなどを仕事にしている人を探す。
その人の条件は、手話や手話通訳をまったく知らないこと。その人に依頼して、「手話通訳制度調査検討報告書」を読んでもらい内容をまとめてもらう。
まとめる上で、手話や手話通訳について理解できなかったことは、手話を知ったりする場を提供する。
また、手話通訳の具体的な現場の出向き見聞きして取材してもらう。
そして、理解できなかったことと理解できたことの間を埋めてもらい、文章にする。(第一次原案)
文章の一字一句を並列的に検討
改善を加え第二次案を作成
第二段階は、第一次原案に基づいて全国手話通訳問題研究会と全日本ろうあ連盟の代表者が「手話通訳制度調査検討報告書」と「手話や手話通訳をまったく知らない人がまとめた。」文章の一字一句を並列的に検討し、改善を加え第二次案を作成する。
第三段階は、第二次案を全国手話通訳問題研究会と全日本ろうあ連盟の両者に計り、承認を得て、パンフの完成を計るというものであった。
この段階の作業をすすめる間にパンフを活用する取り組みも計画してゆく必要があった。
15000字の文章を7000字に
「小学校上級生段階」にも
分かりやすい文章にするが‥‥‥
結果的に第一次原案は、一万五千字を越える文章を第一次案として提出されたため第二段階の第二次案作成の作業に入った。
第二段階では、全日本ろうあ連盟代表から提案のあった「小学校上級生段階」にも分かる分かりやすい文章にするが、「手話通訳制度調査検討報告書」の内容と異なったものや誇張、逸脱したものには絶対しない文章にする。
そのため一文一文慎重に検討し「手話通訳制度調査検討報告書」との整合性があるものとする。
特にこの段階ではパンフの「性格」を決定して行かなければならず、パンフの体裁も含めた検討が行われた。
平行してパンフを活用した取り組みも検討されたがそれは後に述べることとする。
第二段階の作業には全日本ろうあ連盟代表二名、全国手話通訳問題研究会代表一名(代表二名であったが一名は全欠)が実質的に参画した。
第二段階の作業のでは、
① パンフをP として、約7000字とし、コンパクトなものにする。
② 報告書との整合性をふまえた上で、文章表現はより平易な方をとる。
などが改めて確認されて実務がすすめられた。
パンフ作成の実務は締め切り期限もあり長時間にわたる打ち合わせを必要とした。
作業は大阪ろうあ会館で行われたが、文章全文は、黒板に写され、一字一句の検討と討論、修正が加えられたが、この作業がその後の国民を巻き込んだILOVEパンフ運動を決定づけるものとなった。
賛否、保留の意見を聞き
手話通訳制度をすすめる
第三段階では、第二次原案の文章を単に全日本ろうあ連盟や全国手話通訳問題研究会の学習テキストとするのではなく、国民にパンフを広め、国民に手話通訳制度化をすることの賛否(当然保留もある。)の意見を聞き、その力を背景に手話通訳制度化をすすめるという意見が次第に煮詰まってきたことから、パンフの体裁に大幅な修正が加えられることとなった。
誰言うこともなくILOVEパンフ運動
① 表紙は、特別注文の人形をメインに親しみを持てるものとする。
② 国民の意見を集約するためハガキをパンフに入れる。
そのためハガキをあえて表紙裏に印刷し、読み手にその主旨を分かるものとするなど、従来あったパンフのイメージを払拭する。
ハガキは、料金受取払として、増刷の度に承認を得る。その費用は、全日本ろうあ連盟と全国手話通訳問題研究会の負担とする。
③ 簡単な手話もパンフに付けて手話が分かるようにするし、歌も入れる。
歌は、日本音楽著作協会(出)許諾を得る。増刷の度に許諾を得る。その費用は、同上と同じとする。
④ 写真はパンフの価格のバランスを考えながら出来るだけ多く入れる。
などが考えられすぐ実行に移された。
⑤ パンフは、国民のみならず日本に住むすべての人々にコミュニケーションを広げることや国際的な連帯や国際的な手話表現を取り入れるなどが考慮されて「ILOVEコミュニケーション」と名付けられ、パンフを広める取り組みを誰言うこともなくILOVEパンフ運動と呼ばれるようになった。
そして、パンフは1985年8月20日に完成し、同月23日に開催された第18回全国手話通訳問題研究集会(北海道小樽市)で全国に先駆けて配布・販売された。