全国手話通訳問題研究会運営委員会報告(1994年2月24日)「ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説」を読んで
手話通訳制度化のは最終目標ではなかった
ILOVEパンフ運動で明らかになったろうあ者問題やろうあ者の家族問題、ろう教育の問題はその解決をめざし、取り組みと働きかけを強める、ということは単純に考えてはいけないようです。
よくよく考えてみると、手話通訳制度化の「制度」が出来ることがILOVEパンフ運動の「最終目標」ではなく、手話通訳制度化の「制度」が出来ることは「出発点」として提起されていることではないかと思えてはなりません。
しばしば、制度が出来るとそれに安住したりする傾向への戒めともとれますが、制度が出来ると行政の傘の下に縛られる事への警戒を見通していたのかも知れません。
たしかに、手話通訳の資格試験制度が出来ている現代、手話通訳の資格試験合格を目指したり、手話通訳事業などなどに帰結する傾向を見抜かれていたのかも知れないと思えてなりません。
ろうあ者問題やろうあ者の家族問題、ろう教育の問題は
その解決をめざし取り組まれてきたかは疑問
だだ、明らかになったろうあ者問題やろうあ者の家族問題、ろう教育の問題はその解決をめざし、取り組みと働きかけを強めるということが引き続き重く考えられ、取り組まれてきたのかは疑問です。
いいえ、それらは無視されてきているのではないでしょうか。
手話通訳がなされている、いなされている、正しい手話、まちがった手話等々はさかんに意見されます。
しかし、手話通訳がおこなわれても、ろうあ者問題やろうあ者の家族問題、ろう教育の問題はその解決したわけでもありません。
社会的に存在が許されたとしても、内包し続けた問題が解決したわけでもありません。
でも、そのように捉えられていない状況を私たちは、どのように考えて行くべきなんでしょうか。