手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

ろう学校の方向 田中昌人氏の考えから再検討か

   村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟

 

村上中正氏の1971年試論では、

 

 村上中正氏は、ろう学校を「一つの固定されたろう学校」を「一つの固定集団」の枠の中だけで、真の発達が保障できるかと問題と疑問を出す。
 そして「一つの固定的集団」の枠の中だけでは「障害児の能力、適性に応じ、社会適応力を高め自立を可能」にすることは出来ないかのようなことを主張。

 

さまざまな異なりをもった人間が集団として
 それぞれの集団の平等で自由な結びつきにこそ

 

「さまざまな異なりをもった人間が集団として、そしてそれぞれの集団の平等で自由な結びつきの中にこそ団結と連帯と人類の発展があるように、質の異なるさまざまな集団の有機的なつながりの中で、全面発達を保障しうる」としている。

 

 ろう学校を「一つの固定集団」として捉え、「質の異なるさまざまな集団の有機的つながり」が「全面発達を保障しうる」とする。

 この「質の異なるさまざまな集団」については、前述した1967年9月3日 田中昌人氏の話から考えての提起ではないだろうか。

 

子どもたちも質的に違った集団を
 もつことが大切なんだ、と田中昌人

 

 1967年当時、田中昌人氏は、

「重症児だけで集めればいいんだ、ごたまぜでいけないから、分類処遇することがいいんだ。そのようなことで分けられていました。それは、ひとつの政策、ひとつの考え方であって、そこには正しい面もありますが、それだけではいけないのだということが分かってきました。」

 

「にたもの同士を教室に入れることが、はたしていい教育集団として言えるのか、どうか。私たちは、もっと自然に違う人たちとふれあう機会をつくった。重症児と精神薄弱児とそうでない子どもたちと。そうしますと、それまでもっていた自分たちの力を別のところで、別のやり方で現れてくるんです。私たちも家庭だけに閉じこもっていたら非常に閉鎖的になってしまう。
 それが、家庭から学校、職場、サークルなどいろいろな集団がある。質的に違った集団を持つことによって、いろいろな豊かな個性をつくっていくことができるようになります。

 

 重症児と精神薄弱児とそうでない子どもたちも質的に違った集団をもつことが大切なんだ、ということを知っていったんです。
 そういう中で重症児の子どもたちも集団化・集団活動、生活や労働の中でその人たちが持っている力を力強くとても発揮していくということを知ったんです。」

 

の「子どもたちも質的に違った集団をもつことが大切」「子どもたちも集団化・集団活動、生活や労働の中でその人たちが持っている力を力強くとても発揮していく」を受けて「質的に違った集団」と「有機的なつながりの中で、全面発達を保障しうる」と考えたようである。と書かれている。

 

「質の異なるさまざまな集団」を思考
 ろう学校のあり方を考えたのか

 

 村上中正氏は、田中昌人氏の「質の異なるさまざまな集団」を思考してろう学校の有り様も生徒たちの方向も考えていたと思われるが、この「質の異なるさまざまな集団」についての吟味は出来ていない。