村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
村上中正氏の1971年試論では、聴覚障害者教育について村上中正氏は、次のような持論を展開する。
聞く、聞こえない、聴きたい、聴こえない
あきらめ 当然 それを否定
・聴覚障害者の教育保障を考える場合、「聴く」権利ー聴覚保障ー|と発達する権利ー発達保障ー二つの面からとらえねばならない。
聴覚保障と発達する権利の保障の二側面からの把握を主張するが、それは聞く、聞こえない、聴きたい、聴こえない、が保障されることで人間発達が保障されるとするのであろう。
聞く、聞こえない、聴きたい、聴こえない、で留まり、諦めたり、逆に聞く、聞こえない、聴きたい、聴こえない、は自明のこと。聞く、聞こえない、聴きたい、聴こえない、をもとめるのは、聴覚障害者にあらず、などを否定していると考えられる。
聞こうとする、聴こうとする、その指向性に応える保障
聞こうとする、聴こうとする、その指向性に応える保障が、結果的に全面的に聞こえる、聴えなくても、少しずつ聞こえる、少しでも聴える中に「あきらめない可能性」を創りあげられて行くことを示唆したのであろうか。
聴力検査で測定が出来ない生徒
語音検査で90%以上の聞き取れる
山城高校の聴覚障害教育は、1972年以降年度ごとに「山城高校聴覚障害教育のまとめ・資料」として山城高等学校が発行していた。その中には、聴力検査で測定が出来ない生徒が、語音検査で90%以上の聞き取れている報告がある。
物理音ではなく、ことばの集合体で捉えて聞き取れる生徒もいるという中に聴覚保障の可能性と生徒の発達を見いだすという意味も含まれていたのであろうか。
聴覚保障と発達する権利の保障の二側面からとらえる、教育とはなにか、を示そうとしていたのか、その可能性があることを教育としてさらに具体的に提示しようとしたのか、試論は重要提起をしているようである。
それ故、具体的に次のような問題を投げかける。
子どもの声が聞きたいという
「全聾」とされている親の要求に応える
・聴覚保障は、「全聾」といわれ聴覚への可能性を無視されてきた障害者にとっても、たとえば「私の息子の声が聞きたい」という要求があり、たとえ歪んだ音ではあってもそれを最大限に増巾して耳に響かせることを保障することによって応えていかねばならないように、さまざまな音響の感知をまで保障していくことを意味する。
子どもの声が聞きたい、という「全聾」とされている親の要求に応える。
それは聴覚機器をフル活用する、聴覚機器をさらに開発することによって、「たとえ歪んだ音ではあっても」耳に響かせることを保障するという教育は、教育の可能性をどこまでも追求したもので、教育に限界はないとする考えに行き着く。と書かれている。
耳に響かせる保障の教育は
こころを響かせる教育への伝承
「全聾」とされている親だから、子どもの声が聞きたいと言っても「無理」であるとする既存の固定的考えを否定して聴覚保障に挑戦する教育であると言える。
聞こうとする、聴こうとする、その指向性に応える保障から教育を考える展開は意味深い。
聞こうとする、聴こうとする、その指向性を否定する傾向は凌駕されているが、その根柢にあるには聴覚に対する否定ではなかろうか。
聞こうと、聴こうと、それを指向性しても無駄だから他のコミュニケーション手段を置き換えるか、否定した上に別のコミュニケーション手段がもともとあるとする傾向も結局、聞こうとする、聴こうとする、要求を却下しているのではないか。
耳に響かせることを保障するという教育は、こころを響かせる教育への伝承であったのではないか。