村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
1971年の前年。
京都府議会は、全会一致で京都府立山城高等学校の聴覚障害教育に関わる諸費用を承認したとされている。
国庫補助が全くなく京都府独自に予算を組む。
当時、独自予算を都道府県が組むと国から予算上の余裕があるとして各種国庫補助が削減されたりした時代。
富裕県でなかった京都府が単独で京都府立山城高等学校の聴覚障害教育に関わる諸費用を予算化して、承認するということは多くの制限を覚悟しなければならなかった。
だが、それを理解した上で全会派が承認した。
このことを考えるだけでも、京都府立山城高等学校の聴覚障害教育に対する京都府、京都府議会の並々ならぬ判断があったことが推測出来る。
ー京都府立の学校の予算は、京都府教育委員会が組み議会の承認を得ると思っている人びとが多い。
京都府立学校の土地、建物、机にいたるあらゆる備品は、京都府教育委員会のものではなく、京都府のものであることーを承知しておかないと、以上のことも以降のことも理解出来ないだろう。
聴覚障害者教育をすすめるための
「必要な措置予算」の仕組み
村上中正氏の1971年試論では、
京都府立山城高等学校で、聴覚障害者教育をすすめその保障のための「必要な措置」は、
以下のような手順が必要であり、踏まれていたはずだろう。
当時の京都府条例、教育委員会規則などなどを調べて見ると、最低でも次のようなことが必要になるはずであった。
聴覚障害者教育に対する具体的な措置要求 ⇔ 学校長・事務長(京都府出納責任)⇔
京都府教育委員会⇔京都府担当⇔京都府知事⇔京都府議会⇔京都府議会承認
京都府立山城高等学校で、聴覚障害者教育をすすめその保障のための「必要な措置」の予算が組まれると、校長はもちろん具体的には山城高等学校の事務長(京都府出納責任)⇒事務担当から連絡があり、「予算執行」となったはずである。
京都府立山城高等学校聴覚障害教育予算
単独予算を京都府議会も全会一致で承認
この幾重にもチエック機能と検討が繰り返される中で、国庫補助の全くない京都府独自の予算が執行されていったとは。
当時の京都府の行財政は、決して裕福ではなく近畿圏の中でも予算措置と執行は困難を抱えていたはずである。
にもかかわらず、京都府議会も含めて独自予算を組み、執行されたことの状況と分析は必要であったはずである。と書かれている。