村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
村上中正氏の1971年試論では、村上中正氏は、この記述から論旨不明になるが、以降に述べる同和教育の「差別論」「矛盾と闘う」の影響とそれを導入することで考えて見ればそれなりに理解も出来る。
だが、そのように考えるとそれまでの村上中正氏の論述と矛盾する部分がある。
敢えて、同和教育との連関で考えたのか、そうする背景があったかも知れないが。と書かれている。
たしかに当時の資料等を読む限り、「村上中正氏の論述と矛盾する部分」があるように思える。
論述と矛盾する部分の考察
当時の記録を調べてみると、青焼きコピーであったりざら紙であったりして文字すら読み辛いところが多い。
だが、解る範囲で「村上中正氏の論述と矛盾する部分」を再現し、検討してみたい。
「人間平等」であったとが差別論に傾注
村上中正氏の差別に対する考えは、あくまでも「人間平等」であったと考えられる。
差別論に傾注してしまう傾向があったのも事実ではないか。
このことについて考察してみると当時の京都府立学校における同和教育の問題が関連していると考えられる。