村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
京都ろう学校高等部授業拒否事件。
当時のろう学校校長は、同和教育に熱心に取り組み、管理職になったと言う人が多い。
校長は、すべての問題を差別として片付けていたようである、これに京都府教育委員会は黙認、追随していたのだろうか。
教育の上でも平等に
よりまともな授業を受けたい
京都ろう学校の生徒が授業を軽んじる高等部の先生に意見を出し、「抵抗」し自分たちが差別されてるというよりまともな授業を受けたいということが基本にあった。
自分たちを教育の上でも平等に見てくれない教育観に対する切々な訴えであったとも言えよう。
授業に遅れてくることが日常であったことなどへの当たり前の意見であった。
だが、結果的に京都ろう学校授業拒否事件は、差別であったと幕引きされた側面もあったようである。
ろう学校の教育・内容を変える
本質的な問題は、遠ざけられて
京都ろう学校授業拒否事件は差別であった、とするならば、
どのような差別があり、
差別の原因はどこにあったのか。
差別をなくするため具体的にどうするのか。
どう改善するのかが自明のことであったが、
当時のろう学校高等部の資料を調べてもそれらのことはほとんどない。
ろう学校の教育、内容を変える体勢などの本質的な問題は、遠ざけられてしまった。
ろう学校の卒業生たちの
結婚相談に関わった教師は
このことが露呈したのは、1969年に京都のろうあ協会と多くの人々が取り組んだ、結婚差別、部落差別をなくすムーブメントであったと思われる。
今回そのことの詳細に触れないが、京都ろう学校高等部の教師たちの一部に次のようなことが行なわれていたという。
ろう学校を卒業すると、就職、結婚という問題が卒業生たちの上にのしかかっていた。
勿論、結婚しても妊娠出産ということには、当時の優生保護法なるものが襲っていたが。
卒業生の結婚問題にろう学校高等部の教師たちは、関わった。
当時は民間結婚相談所なるものもあったが、ろう学校の先生なら安心出来て相談出来ると父母、家族、親類は度々ろう学校を訪れ、先生と相談した。
仲人として高額謝礼を受け取る教師
ここで、結婚が成立すると父母、家族、親類は、先生に仲人を依頼した。
無論ただではなかった。
結婚成立と同時に、双方の家から「謝礼」が支払われた。その合計は、当時の高等部の教師の月給を上回り、年収をも上回ったとされている。
両家から喜ばれて収入が入る。ろう学校高等部の一部の教師にとっては高収入であった、とされている。
これは、結婚する卒業生はほとんど知らせられず、後日、知ることになる。