手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

山城高等学校における聴覚障害の生徒を包括した教育は教訓に富む 一部の保護者から、「手話」について異議

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求


  労働で学んだことが夜高等学校で学ぶことで連結する

 

 しかし、「追記」で書かれている以下の部分に試行錯誤を繰り返しながらも

 

「労働で学んだことが夜高等学校で学ぶことで連結することの可能性」

 

が暗示的に述べられているのではないか。

 

  働くもののみがもつ明るさであり強さ

 

・六人の聴覚障害生徒たちが、

 

「教室では、三〇名ちかくの働く高校生の仲間と友情を通わせ始めている。それは、働くもののみがもつ明るさであり強さである。」

 

・ホームルームの生徒の半数を越えるものが、「手話のてびき」(京都ろうあセンター発行)をもち、「耳」を補うために手指を使って連帯を深めようとしている。
(早速、一部の保護者から、「手話」について異議がでた。しかし、これは生徒たちの人間としての連帯にとって欠くことのできない武器であり、生徒たち自身の要求であった。)


・働く生徒集団の固く拡がる連帯と要求が支えになって、聴覚障害者を含めた定時制のすべての生徒たちが、たくましい発達をとげていくことを期待

 

などに「試論」が実践されて再検討されながらも、たしかな教育実践をすすめるという決意が感じられる。

 

教育実践を検証   新たな理論と道すじを創造

 

 そして、村上中正氏は、

  民主的教育運動の一翼として「高等学校における聴覚障害者の教育保障」を実践し、それを検証しつつ新たな理論と道すじを創造していくことが、私たち障害児教育。学校教育に参加してきたものが中心になってすすめていかねばならない国民的な課題である。

と締めくくっている。

 

  以上のことから山城高等学校における聴覚障害の生徒を包括した教育は「試論」といくつかの付随した記録、ヒヤリング調査などによってその特徴が明らかに出来うるのではないか。