(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
第二に私が強く感じたのは、ろうあ者の被爆体験をよく読む中で、私たちが知らず知らずのうちに広島・長崎に原爆が投下されたことを過去の問題として考いる恐ろしさであった。
そこで、私は広島や長崎の原爆投下に関する本をもう一度読み漁ってみた。
核戦争の脅威が広がるに至ってはじめて、私がこれまで一人合点していた
特に私は、W・バーチェットの「HIROSIMA TODEY」(1983年8月6日 連合出版)という本に書かれていることに共通する感想を持った。
Wifred G.Burchettは、その本の「はじめに」の部分で次のように書いていた。
「あの事件から三十八年たった今、このようなタイトルで本を書くことは妙なことと思われるかも知れない。
広島でのユニークた体験をもっているのに、なぜ早くそのことを書いておこうとしたかったのかと読者からよくたずねられたものである。それには多くの理由があった。
その一つには、私が書きはじめてから数日後ーあとになって分かったことだが、原爆で跡かたもなくなった広島から私が送った記事は歴史的なものであったーヨーロッパに配転され、そこからまた国際紛争地点に送られたということがあった。
私が広島にもどったのは、原爆が人類に対して最初に実験として投下されてから四分の一世紀たった一九七〇年のことであった。この期間は、核戦争の危険が後退したかにみえた時期であった。
また、私は大きなまちがいをしていたのだが、一九四五年八月六日に広島で起きたことや、その結果については多くの本が出版され、このテーマについてはあらためて書くことはないと思っていた。
地平線上に核戦争の脅威が広がるに至ってはじめて、私がこれまで一人合点していたことは、実は広島に起きたことの意味を見過ごしていたからではないのかと気付き、ぞっとする思いがした。
そして、広島の問題を全面的に見直さなければならない時だと考えたのである。
本書は、事のはじまりの前から、予測しうる終末までが書かれている。
一九七〇年から八二年のあいだ、広島を訪問して生存者の運命を調査し、本書のテーマにかかわるものをすべて研究してきた結論として、私は自分自身が広島の真の意味を少しも理解していなかったということが分かった。
本書には、私自身と同僚の体験、それに私たちの調査ときわめて深いかかわりがあった責任ある米国当局の資料が入っている。
全世界の人びとは四十年前に広島で起きたことを今日のこととして知る必要がある。原爆投下後から一九四五年末までのあいだに三十万広島市民のうち推定十四万人にのぼる人びとが殺されたが、いま私たちはそれと同じ爆発、火災、核放射線による身体の損傷で破滅するかもしれない危機に直面しているからである。
私の広島からの記事は、デイリー・エクスプレス紙(ロンドン)の一面に『「世界にたいする警告としてこれを書く』という見出しで特報として大きく扱われた。破壊力のものすごさからして、広島や長崎を全滅した爆弾が、大きさでビー玉やバレーボール用のボールなどと比較されるような小さたものだとは当時の私には考えもつかないことだった。
もしもビー玉の大きさのものが全市を全滅させられるなら、バレーボール用のボールの大きさのものは国全体を破壊することができるかもしれない。
それらを一緒に使えば、全世界を数回以上破壊できる!これは大げさな言い方であろうか。いや決して誇張ではない。恐るべき現実である。」
「HIROSIMA TODAY]
「NGASAKI TODAY」
というタイトルを付け加えた
私は、W・バーチェットと同じ意見を持った。
広島や長崎に原爆が投下されて以降、数多くの本が出版されてきた。
しかし、障害者もまた被爆した事実を系統的に明らかにされた本は出版されて来なかった。
被爆者の中に障害者もいるということすらも明らかにされてこなかったし、障害者の中で戦後数十年経っても原爆による被爆ということすら知らされていないという事実も社会的に知らされても来なかった。
「広島に起きたことの意味を見過ごしていたからではないのかと気付き、ぞっとする思いがした。そして、広島の問題を全面的に見直さなければならない時だと考えたのである。」ということは、長崎・広島のろうあ者の被爆体験を聞く中で私たち自身にももとめられているのではないだろうか、と考え込んでしまった。
過去になっていない現在の長崎・広島の報告という意味で私は、手話通訳問題研究誌の連載に「HIROSIMA TODAY]「NGASAKI TODAY」というタイトルを付け加えたのである。