手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「断種手術」 知らないでいた ろうあ者 つもりつもった雪の中で梅の花が咲く

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 結婚はろうあ者二人の意思が尊重されることがきわめて少なかった。 結婚は自分たちの意志で 決定できることを知らない ろう…

優しく表現しようがない 手話 と 破談 手話はカッコいい

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 手話ってかっこいい 最近、N県のN教育大学の4回生の学生さんと話した。 その時、 「手話ってかっこいい、と思ったのは小学…

すぐ帰れ 顔も見たくない 結婚はすでに断ったはずだ

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 Tさんが、ろうあ者のC子さんと結婚の約束をしていたが親が反対していた。 そこで、Tさんとろうあ協会の役員が、この際C子…

悲劇に悲劇を束ねる ろうあ者には「手に職」を持つことが大切の考え

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 Dさん夫婦に対して京傘屋の親方の態度やろうあ者に対する「誰のおかげで、おまえのような奴を雇ってやったと思うのだ。」「…

私の言いたかったことを 初めて言ってもらった

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 「誰のおかげで、おまえのような奴を雇ってやったと思うのだ。」「なに、給料だと、出してもらっているだけでもありがたいと…

静かなる美 京傘に籠められた哀しみ

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 Dさんたちにとって転居するにしても金が必要だがまったくない。 そこで、今までDさんは何度も「このまま住まわせてもらえな…

ろう学校を卒業して三十数年以上給料はそのまま 京傘職人として働き 生きてきた それでも雇ってやってると

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ある日。50歳頃の年頃の聴覚障害者Dさんが相談員の大矢さんを訪ねてきた。 「家の立ち退き」を迫られてどうしたらいいのか…

手話 ハイスピードカメラなどと同じような眼で観ていた証明

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 「アインシュタインの眼」の放映で、カイコ(蚕)が糸をはきながら繭を作る様子をコマ撮りカメラ、軟性内視鏡レンズ、ハイス…

0.02ミリほどを見抜く手話

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 危惧感が現実のものとなって Iさんの続きの記録を、と少なくない手話通訳者に頼んだが梨の礫で、少し病気がよくなった頃には…

手話 を知らない人々にも ろうあ者 の人々の思いや生活を伝えたい

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 2011年の夏前。 京都北部の岩滝町にある与謝の海養護学校を訪ねた、 それから与謝の海養護学校の校長をしていた故青木先生の…

聞こえないもの同士では話せて生きていけることが一番の幸せ

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 身分が違うと大反対を押し切って 駆け落ちして京都に 丹後小町で知れ渡っていたIさんの奥さんのところには、数知れないほど…

丹後小町の再会 ひと目会った瞬間 聞えない女性と解り 大雪が降ろうと探しもとめたあの日から歳月が流れたが

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 「全然、知らなかった。」 「でも、聞こえなくて寂しい思いをしていたとき、聞こえない人と出会えてうれしかった。」 と言っ…

「探す」と言う手話を次第に大きく(広げて)

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 いつのことかも知らなかったわ ただ歩いていただけ すれ違っただけで、この女性は聞こえない、と思ったIさん。 奥さんに聞く…

すれ違ったとき 「あっ、この人は聞こえない人だ」

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 遠い尋常小学校に入学したわけ Iさんの奥さんは貧困生活の中でも小学校に入ることが出来た。本来なら戦前の岩滝町立岩滝尋常…

Iさん夫婦の戦争体験から知る いらん、いらん 今がいいの意味

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 Iさんは、夫婦で一緒に戦争体験の話をしたいと言う。 二人そろって撮影が始まった。 もとても裕福な家庭で育ったIさん Iさん…

Iさんの戦争体験の証言をしてもらときに

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 自分たちが織ったものが永遠に自分たちのところに来ることはない、とは悲しいぁ、と考えるのにIさん夫婦は手を振って「いら…

自分たちが織った帯が永遠に自分たちのところに来ることはないが 今がいい

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 Iさん夫婦が丹精を尽くして創った着物の帯。 どんな人がこの帯を締めるのだろうか、と思うほどのまばゆい帯。 Iさん夫婦の織…

金糸、銀糸に彩られた薄暗いIさんの家で

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 歯科医の帰り道。 二人で転げ回って笑い続けて、「お尻」「パー」を繰り返した。 歯科医がなんと解りやすく説明をしてくれた…

お尻に握り拳を当てて手を「パー」にした歯科医と伝統産業に携わるIさんとの出会い

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ある日のこと。歯科治療中に隣から強い目線を感じて、ふとみるとIさんが居た。 彼は先に治療が終わったが待合室で待っていて…

京都伝統工芸数十年の技ではなく ろうあ者 の技だろう

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 京都に住んでいていいですねぇ、としばしば言われる。 その「いい」ものの中に京都の伝統工芸などをあげられる人と出会うと…

聞こえない 家族 の中で育ったから 聞こえない人 のことを理解している思い込んでいるが決してそうではない

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 数年後、私は教職員組合の役員をしていた。 その時、ろう学校分会の府教委あての要求書が出されてきた。 両親ろうあ者の家庭…

哀しみの渦の中の 「ことばの宿題」

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 「被害者の哀しみを考えてくれ、アンタなら出来る。」 「やってくれ」 被害者からの告訴と 加害者への追求 被害者からの告訴…

烈火の如く怒られ 憎悪の眼差しとともに

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 聞こえる立場同士で話をしてとっちめて、証拠をつかんでくれ、という悲痛な気持ちでろうあ協会の役員から言われたことは解ら…

手話 を利用しての犯罪なのにまったく取り締まろうとしない警察に

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 家族がろうあ者だけれど 一人だけ聞こえる人が ある日の夜。 ろうあ協会の役員に呼ばれて、次のようなことを依頼された。 家…

暴力の中で 「ことば」 を教えられていたことが 大変革 されていた

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 1969年当時、ろう学校に用事があって行くときはいつも嫌だった。 仁和寺のバス停を降りて、仁和寺裏のろう学校に行く道すが…

Integration(統合)とろう教育の早期教育 ろう教育における9歳の壁の破綻 インテグレーション考

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろう教育の早期教育が叫ばれ、3歳、4歳、5歳児になると普通小学校に入学することいインテグレーション(Integration 統合)…

知恵遅れ があるから ことば を覚えることは無理なんです 教えても  インテグレーション考

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 知恵遅れがあるから ことばを覚えることは無理なんです ろうあセンターに相談に来たお母さんの話をろう学校幼稚部の先生にす…

今の ろうあ者 のようになるのは困る 特別なメソッドとスキル

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 今のろうあ者のように なるのは困るのです 私たちが驚いたのは、ろう学校幼稚部のお母さんのねがいが 「早期教育を受けて他…

耳だけが悪ければいいけどと……

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ある日。聴覚障害児のお母さんが訪ねてきた。 他にも障害があるので幼稚部 入学が断られた 聞けば、 「ろう学校の幼稚部に入…

実母の言い残した言葉を 唯一のこころ のよりどころとして

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 警察はFさんは○○店へ行かないようにと考え、Fさんは○○店へ行くのは当然だ、と話は進展せず、時間はムダに過ぎ去る一方だった…