手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

聴覚障害者だけの保障なのか みんなの保障なのか みんなの保障のなかに聴覚障害者もいるのか 空論でなく具体的展開

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 高等学校選抜試験・高等学校の普通科や商業科等、高等学校にある全日制と定時制など。 その評価などをめぐって差別や選別の矛盾がある。 村上中正氏の「対案」は、聴覚障害者の教育保障が 「高校生の中に一…

京都府立山城高等学校の聴覚障害教育に関わる諸費用 京都府・京都府議会は国庫補助が全くなくても承認

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 1971年の前年。 京都府議会は、全会一致で京都府立山城高等学校の聴覚障害教育に関わる諸費用を承認したとされている。 国庫補助が全くなく京都府独自に予算を組む。 当時、独自予算を都道府県が組むと…

聴覚障害児⇔聞える生徒たち という単純図式で思考しない教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 多くの人々の中で、学び合い、育ち合うという教育原理が、「教える」ことの強調で、「教える」「教えられる」との関係で教育が評論されていないだろうか。 聴覚障害者のインテグレーションについて考察した…

「合理的配慮」の先行 聴覚障害生徒の学校教育における 「配慮と排除」の違い 思いやりと「甘やかし」の違い

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 以下の論述を思考すると、「配慮と排除」の違い・思いやりと「甘やかし」などの問題を根本的に考えるべきことが想起される。 聴覚障害児者に対する「理解」が論じられる場合、その多くは配慮という名の基に…