手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

子供を育てる段階では手話は厳禁されるべきもの  第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 引き続きみみずく会の谷氏は、次の事を報告している。 (手話)技術だけでは永続きしない ろう者の理解、それには伝達技術の…

なぜ手話を覚えるか? その動機、出発、力となっていくために 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 司会が、第一回手話通訳者会議に参加した人々に次のような質問をした。 ここにお集まりの皆さんで全国的にみて「手話」を育…

福祉事務所などの障害者福祉司の現状とその改善のために 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 宮城県の山家氏は、ろうあ者担当の福祉司が年々変わるので、講習会をしても(手話を)覚えきれない。結局、(手話を覚えても…

みる選挙 みえる政治とろうあ者のねがい 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 立合演説会は、選挙立候補者に直接出会い、その公約や抱負を知り得る重要な機会であった。 現在のようにTVでの画面を通して…

選挙演説をろうあ者が聞きたいとのねがいに声をたてるからと選挙管理委員会  第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 さらに、4、手話通訳者の中立性、5、その他があげられ、説得力:単に通訳するだけでなく、問題を発展させていく意識、社会全…

手話通訳者がろうあ者の発言を握りつぶすなど 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 京都府民生労働部の向野嘉一氏はさらに次の点を指摘する。 手話通訳者が通訳を制止 ろうあ者の発言を握りつぶす ろうあ者の…

手話‥‥表現的、 意味的な表現 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 第一回全国手話通訳者会議で京都府民生労働部の向野嘉一氏は、 会議の内容を把握しておくことの大切さは、話し合いがどのよ…

「手話の読み取る能力」を単純に評価してはならない 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 次に③ 通訳者が会議内容を把握していなければならない。ことを指摘している。 手話通訳者が話者に 聞き返すということは当然 …

ろうあ者 のためとする「欺瞞」を指摘 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 京都府民生労働部の向野嘉一氏は続けて次の点を指摘している。 手話通訳者が自分の人権を投げ捨てて ろうあ者の側だけのため…

同情だけの手話通訳に対して 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 第一回全国手話通訳者会議では、京都府身体障害者福祉センターから京都府民生労働部に異動していた向野嘉一氏は次のような報…

日本初の「手話技師」の採用 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 ろう学校教師は、卒業生の「進路指導」という名目でろう学校卒業生のあらゆる問題に関わっているということでろう学校教師と…

ろう学校に依存しない行政対応 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 第1回手話通訳会議では、手話の各論についての報告で国立聴力障害センターの貞広邦彦氏に続いて京都府民生労働部主任主査の…

手話 の強さ弱さ位置を手話ではっきりさせ力の入れぐあいで手話の意味が違うと提起 第一回全国手話通訳者会議考察1968年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 さらに、第一回全国手話通訳者で貞広邦彦氏は、点があったり、リズムが必要であり、相手と自分が通じ合うための手話として考…

身振りは文字以前やはなしことば以前に重要なコミュニケーション 第一回全国手話通訳者会議考察

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 人間の歴史を遡ると身振りは文字以前やはなしことば以前に重要なコミュニケーションとして、異民族同士のコミュニケーション…

貞広邦彦 氏 は 広島ろう学校から請われて 厚生省職員へ 手話や手話通訳への無視、偏見の時代に手話と手話通訳を広めた 第一回全国手話通訳者会議考察

hirosima 手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 貞広邦彦氏は、1961年に厚生省の要請で厚生省職員として国立聴力言語障害センターで働くことになる。 このことはと…

ろう学校 の生徒や ろうあ者 の「幸せ」「生活」などを自分たちの尺度で形成した枠組みの中に押し込めようとする 第一回全国手話通訳者会議考察

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 第一回全国手話通訳者会議で東京のろう学校の大久保襄氏は、手話や手話通訳、さらにろうあ者問題やろう教育について「消極性…

洞ヶ峠を決め込まないろう学校の教師たち 第一回全国手話通訳者会議考察

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 京都ろう学校には学校以外で手話通訳をしていた教師は5人以上いた 京都ろう学校の授業拒否事件は語り継がれても、生徒たちが…

口話教育だけでろう教育は充分ではないと示さなかった教師たちの責任 第一回全国手話通訳者会議考察

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 往々にしてろう学校では、あたり障りのない、見て見ぬ振りをする傾向が横行していた。 だが、ろう学校の教育をたえず改善した…

見すごせられない ろう学校教師の「いい加減さ」「美辞麗句をならべるだけ」 第一回全国手話通訳者会議考察

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 あえてろう学校教師の「いい加減さ」「美辞麗句をならべるだけ」で、自らの学校と自らの教育の改善を志向してこなかったこと…

手話のできるろう学校教師は手話と教育を理解していたのだろうか 第一回全国手話通訳者会議の考察

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 手話のできるろう学校教師は 手話と教育を理解していたのだろうか 伊東雋祐氏の第一回手話通訳者会議での発言と問題はすでに…

手話 は必要とろう学校長 手話の必要を感じない教師 違いが 第一回全国手話通訳者会議の考察

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 1968(昭和43)年の段階でも福島県立福島ろう学校長は手話の必要性を認め、教職員のが手話を学ぶ機会をつくろうと言っている…

国際遺産 手話通訳者会議 第一回全国手話通訳者会議 1968(昭和43)年6月2日 ろう学校長手話必要性 を説き教職員が手話を

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 1968(昭和43)年、6月2日。 全国ろうあ者大会とともに福島市・福島市民センターで、第一回全国手話通訳者会議が開かれ、それ…

苦しくもあり哀しくもあったが人間性で満ち溢れていた 京都ろうあセンターはなぜつくられたの⑳

http://sakukorox.hatenablog.com/entry/2017/12/08/211007 手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 京都ろうあセンターは、多くの人々によって支えられ、それが基礎…

耐えきれないドンドン、ガンガンの音と近隣の人々  京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑲

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 京都ろうあセンターの改装。今日のような空調が出来る高価な改造は望めべくもなかった。 だが、みんなは大満足だった。 しば…

違っていた視覚障害者・盲人と聴覚障害者・ろうあ者の施設・設備 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑱

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 京都市、特に京都市職員の福祉担当者はろうあ者は単に耳が聞こえない、とだけ考えるのは誤りで表面的な現象だけを聞いていて…

専任手話通訳の採用はろうあ者福祉の出発点 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑰

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 京都市は全国で初めて専任手話通訳者を採用したが、その身分は嘱託だった。 このことに対してろうあ協会は、京都市の自治体が…

素晴らしいろうあ者の人間像が数多観えた 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑯

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 寄付が集まらなかったら給与が出ないろうあセンターの職員の状況をいつもろうあ者の人々は気遣っていてくれた。 昼飯時や仕事…

本来行政がなすべきものであると京都府・京都市・各市町村へ 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑮

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 京都ろうあセンターは、社団法人京都府ろうあ協会の事業として出発した。 京都ろうあセンター館長は 自ら先頭を切って連日寄…

給与も出せないままであるにもかかわらず 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑭

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 資金の見通しが極めて不充分であっても、旧ライトハウスをろうあ者のセンターとするための京都ろうあセンターの準備が、はじ…

見通しが充分なくても京都ろうあセンターの看板を高々と掲げる壮絶な決意 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑬

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 コロンブスの卵。 大陸発見はだれにでもできると言われたコロンブスが、卵を立てることを試みさせ、一人もできなかった後に卵…