手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「難聴」を聴覚障害者集団からひき離す道をたどるとは   多すぎる示唆

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論は、 村上中正氏の「試論」の前提には、当時の教育基本法、特に教育諸制度や教育保障と関わって 教育基本法第10条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し…

教育展望の大前提 危険な教育方法論 国民全体に直接責任を持つ教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 危険な教育方法だけで教育を述べる 教育を考える前提として教育をすすめる教師たちには、単に教育方法だけで行えないことがある。このことを理解しないで、教育を切り刻んで論じる教育研究者が少なくない。…

インテグレーションでない 日本の高等学校の教育の「転機」

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 日本の高等学校の教育の「転機」 村上中正氏の1971年試論は、 1971年、京都府教育委員会は聴覚障害児15歳、高校入学を認める方向で大きな転機を迎えていた。これは、日本の高等学校での教育にとっても「転…

ろう教育を科学に 経験・思い込みの教育を排除して ろうあ協会が要求  ろう学校の授業拒否事件の教訓

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 聴覚保障と科学技術の進歩などを1971年当時受け入れられたかどうかの疑問があったとした。 この考えを解き明かすキーは、京都府ろうあ協会(当時)が、1969年から1970年にかけて京都府・京都府教育委員会、…

人間発達 ユネスコ「学習権宣言」よりも先んじた提起

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論を考え、留意点として、以下の引用にある「障害者の権利を主体とした発達保障」「科学技術の進歩にともなう聴覚保障」を挙げておきたい、と述べてきた。 教育における権利と発達保障…

京都ろう学校事業拒否事件の生徒の教育ニーズ 聴覚障害者の教育ニーズの連関

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論は、 特殊教育から障害児教育へ 権利と関わって 現在、特殊教育から特別支援教育への以降と実践と論じられることが多いが、氏は特殊教育から障害児教育と発展してきたとする。 特殊…

特殊教育から特別支援教育の発展として過大に評価 踏みにじられた教師たちの汗と努力と改革

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 特別支援教育でぬり染められるかの事態 2001年から2006年頃にかけて文部科学省の特別支援教育を「特殊教育から特別支援教育の発展」として過大に評価した人々が立ち現れ、特別支援教育でぬり染められるかの…

直視すべき インテグレーション で聴覚障害児・者の人生が分断され、区分され、優劣が加えられていたこと

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論は、 自分の原稿をみんなで意見交換して 書きなおしたものは「みんなの文」 村上中正氏はろう学校の教師としても、障害児や全体を考え社会的提起を行なった立場から、インテグレーシ…

九歳の壁 と言うことで「人間の壁」がつくられている

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 聴覚障害者のことを知り抜いたからこそ タブーをつくらない 以下の村上中正氏の1971年試論の探求は、聴覚障害者のことを知り抜いたからこそ明らかに出来ることであり、考えなければならないことかも知れな…