手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をお寄せください。みなさんのご意見と投稿で(手話手話通訳)がつくられてきています。過去と現在を考え、未来を語り合いましょう。

哀しみだけが友だちに  遠い日の記憶の答え合わせ

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         ( 遠い日の落陽から考えて 投稿 高橋連 )


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 国立病院での手話通訳。午前8時半頃に病院受付窓口に行ったが、三枝木さんはすでに長く待っていた。出会うとニコニコ顔。受付をすませて専門科外来へ。
 これから三枝木さんの名前が呼ばれるまでひたすら待つ。雑音の中、病院のスピーカーに「聞き耳」をたて続ける。三枝木さんの名前が呼ばれた時に聞き逃すと受付は最後に回される。

 

 三枝木さんは手話通訳がいると安心したのかさかんに話しかけてくるが、気が気でなかった。
 どれくらいの時間が経ったのか記憶にないが、話は三枝木さんの生い立ちとこれまでの話になっていた。

 

 ろう学校は遠くて、毎日通わせてもらえなかった。列車の乗り継ぎ、徒歩、時間がかかった。でも友だちと出会うと苦労もすべて忘れてしまい、話が止まらない。
 孤独の生活から友をえた。出会いはとても楽しく、明るい日々になった。でも、でも、学校に通うのにお金が要る。ダメ、ダメ、悲しい、家の仕事手伝う、悲しい、友だちは今、ろう学校のある遠くを見る。でも、毎日、ろう学校に行かせてもらえない。悲しい。

 

 ろう学校 毎日 行かせて もらえない。悲しい。この手話は、何度も何度も繰り返されたが、それだけ三枝木さんの哀しみと思いが込められているように思えた。

 

 ろう学校に通うのになんの援助も補償もない時代。哀しみだけが三枝木さんの友だちになっていた。

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 病院で受診するまでとても長い待合時間が過ぎていつ呼び出しがあるかと心配する手話通訳のかたと手話通訳が来てくれたので安心して話しかける三枝木さんのようすが書かれています。

 

 手話通訳のかたとろうあ者のかたの立場の微妙な違いがありますが、それ以上に三枝木さんの話が気になります。

 

 ほっと安心して、信頼して話せることはとても大切なことだと思います。

 

 三枝木さんの話には家族との気持ちの食い違いがあったとも思えますが。
 
 ろう学校に通うのになんの援助も補償もない時代と書かれていることで、ろう学校に通う負担は家族のみなさんがになえないほどだったことが考えられます。

 

 手話をひとつひとつおくことで、三枝木さんの哀しみをえがかれています。

 

  ろう学校 毎日 行かせて もらえない 悲しい の繰り返しをことばや文字におきかえるのはとても難しく思えました。

 

コメント

 昔の状況と今とは違いますね。でも、何か同じですね。学ぶことや友だちとの出会いが至福の時だったとは‥‥‥。
 

 

手話通訳した内容をすべて書くのが報告書  遠い日の記憶の答え合わせ

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             ( 遠い日の落陽から考えて 投稿 高橋連 )

 

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 三枝木さんの朝は早い。60歳を過ぎても日の出と共に出勤して夜遅く帰る。それが日常の日々だった。

 病院に3回乗り継ぎをして着いたのが、約束の20分前だった。ニコニコして出迎えてくれた三枝木さん。1時間以上前に病院に来ていたと言う。

 

 聞けば、不安で不安で胸がどきどきするからと手話で語った。
 病院は、受付がすんでもすぐ診察ではない。待ち時間、三枝木さんは病院に何度も来た。自分の働く会社と他の会社が一緒になってこの病院と連絡(連携)しているとうれしそうに言った。

 診察。三枝木さんはいろいろ言ったが、結果的に異常はないと医者から言われた。

 「おかしい」「不満」と三枝木さんは言うが医者は「そうですか。とくに異常はないですが‥‥‥」と言うばかり。

 

 しかたがない、と三枝木さんは家に帰ると言った。仕事を休んで一日が過ぎていた。

 

 職場に帰ると管理職は、報告書を出すようにと言う。日時・場所と簡単な状況を書いた。ところがそれでは承認出来ないと言う。
 「手話通訳した内容を書かないとだめじゃないか」と言い出すのである。

 

 研修などの報告書では、聞いた研修内容は書けるが手話通訳した内容までは書けない。手話通訳をしている時は、通訳することばかり集中しているので会話のやりとりをすべて記憶しているわけではないと言った。

 

 管理職は、記憶していないなら手話通訳したことにならないのではないかとまで言い出した。
 すごい重圧だった。
 手話通訳するということは、話の内容を把握する必要があり、それを手話に、ことばにと言い換える。が、その瞬時、瞬時で記憶し時間のずれを修正する。その記憶はいつまでも残るものではなく次々とはなしは移り続けるもので思考はそれに傾注する。そんなことを言っても通じなかった。

 

 手話通訳は、双方向のコミュニケーションと言ってもなおさら管理職には通じなかった。

 報告書に適当に文字を多くして書いた。管理職はこれでいいと満足した。

 

 数日経って、三枝木さんから病院への手話通訳依頼があった。
 今度は国立病院だった。国立病院での手話通訳を何度もしたが、待ち時間は6時間になる時も多く診察時間は3分程度だった。3分のため一日かかると思いついため息をついてしまった。
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 手話通訳した内容をすべて書くと言われるとたしかのそのように思えます。

 

 いまならプライバシーに関わることなので詳しく文章で書けないといえるかも知れません。

 

 手話を学習している人が手話通訳したことは、すべて覚えているのがプロです。とはなされるとすごいわさすがプロなんだ。わたしにはとてもそういうことは出来ないわ。と思うわたしがいます。

 

 手話通訳するということは、話の内容を把握する必要があり、それを手話に、ことばにと言い換える。が。その瞬時、瞬時で記憶し時間のずれを修正する。その記憶はいつまでも残るものではなく次々とはなしは移り続けるもので思考はそれに傾注する。

 

と書かれていることを考えます。

 

 

 

 

聞こえない から市外の病院に行ってはいけないということはないですよね  遠い日の記憶の答え合わせ

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           ( 遠い日の落陽から考えて 投稿 高橋連 )
 
 手話通訳は聞こえない人のためにあると考えていましたが、わたしの友人は「聞こえる人のはなしを手話通訳するのが手話通訳でしょ。だってTVの手話通訳は聞こえる人に伝えるため。聞こえない人が手話で伝えるTVってほとんどないよ。情報を伝えるために手話通訳が必要なんでしょ。」と言います。

 

 そのことはおかしいと思うのですが、TVではほとんどが情報を伝えるための手話通訳がでています。

 

 時には、話しているかたが言い間違えていると思えるところでもそのとおりされずに手話通訳されている。

 

 まえもってはなしを聞いていたからかもと思ったりする時もあります。

 

 でもでも「管外だから出張は認められない。」とは、手話通訳をみとめておられるようには思えないのですが。

 

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 管理職が管外出張を認めないのは訳があった。出張の場合は、管外だと交通費と手当が高くなることもあったが、市内で事故や問題があった場合は対処しやすいが、市外ではなにかと面倒が起きるという管理職なりの心配らしきものもあったようだ。

 

 三枝木さんは、管理職とのやりとりを雰囲気で知ったのかどうか分からなかったが、すぐろうあ団体の役員さんに相談に行ったようである。
 ろうあ団体から市長と話がしたいとの連絡。市長がいないので助役が対応することとなった。

 ろうあ団体の役員さんは次のように助役に話しかけた。

 

「助役さんは市内だけで仕事をされるのですか。」「市外にも行きますよね。そうでしょ。」「聞こえない人が病気で病院に行く、それが市内になければ市外に行きます。あなたもそうでしょ。以前入院されていた時は、市外の病院でしたね。わたしも見舞いに行きましたが。」「聞こえないから市外の病院に行ってはいけないということはないですよね。そうでしょ。分かりますか。」

 

 すぐに管外で手話通訳することが認められた。三枝木さんは、助役との話に参加していたが、ただ微笑んでうなずいてばかりだった。

 

 助役は、管理職に「いやーまいった、まいった、あの話は筋が通っている。君は管外はいけないってなぜ言ったんだ。」と言っただけだった。が、管理職はその話に恐縮。それから管内や管外のことは言わなくなった。

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 ろうあ団体の役員さんの話は、とても素晴らしいと思いました。

 

 ろうあ者だから手話通訳が必要という話からはいるのではなくて、助役さんが市外で入院していたことから「聞こえないから市外の病院に行ってはいけないということはないですよね。そうでしょ。」と話されている。

 

 病気や病気かも分からないときは、行こうとする病院が自分の住んでいる役所の管内かどうか考えないのはあたりまえです。

 

 だれでも考えて、動くことと同じことと結論を手話通訳を助役さん自身が認めるようにされる。

 

 ろうあ団体の役員さんは、よくよく考えて発言されているのではないかと思いました。

 

 

 

 

手話通訳 見えないバリアーがある  遠い日の記憶の答え合わせ

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    ( 遠い日の落陽から考えて 投稿 高橋連 )

 

 福祉の窓口だけの手話通訳って考えは今もたくさんあるようです。

 

 ここからここまでとか。府県を越えた手話通訳はしてもいけないとか。

 

 管内だけの手話通訳だけとか。思わぬ規則があっておどろいたりします。

 

 ある時、手話通訳を学ぶために新しい住宅街に行ったらある通訳さんが「この道を2mすすんだらだめなの。他の府に行くことになるから」と言われました。

 

 最初は何を言っておられるのかわかりませんでした。

 

 聞いてわかったのは、2m先を歩くと府県境を越えてしまうということでした。

 

 塀もないただの道路。

 知らないとただ通りすぎる道に見えないバリアーがあるとは思いもしませんでした。
 
 わたしの思いこみかも知れませんが。
 
 福祉の窓口だけの手話通訳の制限をどうされたのか文を読みすすめました。

 

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 急いで机に戻ってくるとすぐ職員が寄ってきた。

 「あの人 さっきから待っているが どうも病院のことらしい」と言って筆談メモを渡した。
 「病院 おねがい」と読めたが職員は読めなかったようである。
 「病院 おねがい」は、病院に行きたいので手話通訳をおねがいしますという意味だったが、病院のあとは分からないと思い込んでいたようである。

 

 福祉の前の狭い場所に小さくなって座っている三枝木(仮名)さんが居た。あいさつをすると満面の笑みを浮かべて止まることのない手話で話しかけてきた。
 繰り返し、繰り返しの手話は、それだけ切実で困っているという証でもあった。
 身体が痛くて、痛くて仕方がない、と三枝木さんは言う。今日は仕事休んだ。病院に行きたいけれど手話通訳してくれるとの話。

 

 管理に席を外して手話通訳に行くと言うと「届けを書いてもらわないと」と言う。三枝木さんに書いてもらっている間に午前中の診察が終わると思い「三枝木さんいつも行く病院に行って保険証を出しておいて、すぐあとから行くから」と言った。

 管理職とのやりとりを見ていた三枝木さんは察しが早かった。うなずくとすぐ出て行った。

 

 何事もなかったようにして昼休み前に裏口を飛び出して三枝木さんの待つ病院へ行った。
 ギリギリ間に合ったが、診察の結果は特に異常なし、三枝木さんの浮かない表情だけが残った。

 

 数日経って、三枝木さんがやって来た。別の病院にいくから手話通訳をおねがいしますと。その時は、届けに名前を書いてもらい理由は一緒に考えて書いた。が、管理職は、「管外だから出張は認められない。」と言い出した。

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窓口だけの手話通訳だけをすればいい  遠い日の記憶の答え合わせ

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          ( 遠い日の落陽から考えて 投稿 高橋連 )

 

 次に書かれていたのは、役所における手話通訳のことでした。

 

 手話通訳が公務員として働くことは、それだけに専念出来ない役所のシステムがあったようですね。

 

 その歯車に軋みがあり、軋みをスムーズにしようとすると軋みはもっと大きくなるようです。

 


 じつは、わたしの福祉で主な仕事は、手話通訳だったと書いた。過去形で書いたのは、公務員としての手話通訳のあり方について自信がなかったから。

 はじめの頃は、手話通訳することだけが仕事だと狭く考えていた。

 役所では、手話通訳は福祉の窓口だけに来るろうあ者の手話通訳だけをすればいいという考えだった。

 

 でもろうあ者のかたが、役所に来ることは極めて少なかった。多くの人は仕事をしていたので。ようするに手話通訳の仕事は役所には不要であるという考えが底流にあった。

 

 手話は、各地でいろいろな表現がされていた。でも、不思議なことに福祉係や福祉事務所、民生課などは、汽車・割引・場所と同じように表現されていた。

 ろうあ者のかたがたが、福祉をどのようにとらえていたのか、その実態を知っている見事な手話だと思った。

 国鉄乗車券の割引をする国鉄の証明書に福祉が判を押してそれを証明となる。それを持って国鉄の切符を買う時に提出すれば割引を受けられる。国鉄が出す証明書は国鉄でしたらいいのに福祉がする。おかしな制度で、このようなことはたくさんあった。

 

 手話の表現には、汽車は車輪を動かす部分、煙突から煙が出る部分、汽車の形などいろいろあった。ディーゼル機関車になっても汽車で手話で現されたり。
 割引は、半分の手話でどうも割引の漢字に由来しているようだった。駅を驛と書くろうあ者がいて独特のというより漢字の音で聞くのと異なった漢字の表意で手話をされていた。

 

 たくさんのこととたくさんの矛盾があったが、ろうあ者のひとびとにとって汽車の割引をもらいに行くのが福祉でそれ以外は何もしてもらえないというような考えだった。

 

 実情から考えてごくふつうのことであっが。

 

 手話通訳は、そのような状況の中ではじめなければならなかった。

 

 

 

届かなかった身体障害者手帳  遠い日の記憶の答え合わせ

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 ( 遠い日の落陽から考えて 投稿 高橋連 )

 


 上向きの写真の障害児の障害者手帳をお母さんに渡して数ヶ月。

 

 管理職がわざわざ寄ってきて「あたたかかった。とても感謝されて来られたよ。」と言う。

 何を言っているのかよくわからなかった。「何のことですか」と聞くと、上向きの写真の障害児の障害者手帳を渡してしばらくして、受け取るべきその子が亡くなったと言う。
とてもとても悲しかった。

 

管理職は、「お母さんは、早く身体障害者手帳を返さなければならないと思いながら返せずにいた、今日になったことを詫びておられた。」とまで言う。

 お母さん。詫びなくてもいいのに…と思いつつ、ふと泣いておられたお母さんが微かな声で「この子がこの手帳を手にすることが出来たら」と言っておられたことばが胸に飛び込んできた。

 なぜかわからないが、なぜか記憶が甦ってきた。

 

 おかさん福祉に詫びなくていいのに、福祉が詫びなければいけないのにという思いだけが頭を駆け巡った。

 管理職が言ったその日から、身体障害者手帳を届けることを反対する職員は無くなった。そんなことはどうでもいいやと思った。

 

 でも、役所の職員の中には少しでも人々のためのいい仕事をしたいと思っている人が多い事を忘れてはならないと思った。いい仕事をしたいと思っていてもさまざまな縛りで自分の気持ちをどんどんと抑え込んでいっているようにも思えた。

 じつは、わたしの福祉で主な仕事は、手話通訳だった。

 


 おかさん福祉に詫びなくていいのに福祉が詫びなければいけないのにという文に出会った時にこの重い意味をまだ知っていないわたしを恥じました。

 

 お母さんの気持ちと管理職の気持ちには、天と地の違いがありますが。

 

 お母さんが詫びておられるのは、亡くなった子どもさんに対してではないだろうかとも思います。

 

 自分を責め続け、人の少しばかりのあたたかさに感謝されていたのかも知れませんが、このことは説明のつくことではないと思います。

 

 ああぁ 子どもさんは亡くなられたのかぁ 福祉ってなんだろう 生きることを厚くするのではないのと考えています。

 

 

 

福祉は届いたの身体障害者手帳とともに 遠い日の記憶の答え合わせ

 

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           ( 遠い日の落陽から考えて 投稿 高橋連 )

 

  寝たきりって言われていた子どもさんと書きましたが、調べますと寝たままとも書いておられる人もいました。

 

 産まれて、ハイハイもお座りもない子どもさんだったのですね。


 病気がいまだ続いているのか、入院中か、どこかの施設に入っているのか。

 ともかく寝ている子どもさんを上から撮った写真であると思った。

 

 「症状固定」という言葉で入院中や治療中の人たちは、「症状固定」するまで身体障害者手帳の交付は受けられなかった。

 「固定」という言葉は、とても絶望的で非情な言葉に思えた。
 「症状固定」でないと身体障害者手帳の交付は受けられなとされながら、症状が変わったなら障害者手帳の等級変更や返還が求められる。たしかに、「重症化」がすすむと等級変更することがあるが、それは極めて希なことであった。

 

 そう考えると、症状固定は今の、現在の症状としたらいいのだがそうはされていなかった。

 上向きの写真の障害児の障害者手帳を持って、長い道を歩いた。自転車ではとても通れない道をひとつ、ふたつ、みっつと峠を越えたら急な下り道。

 うねうねと下る道を滑り落ちないように用心しながら歩いた。
 上向きの写真しか撮れない子どもさんがいつか元気になってこの道を歩いたとしたら。たいへんだろうなと思った。

 

 下り道をすすみ道が少し曲がったところにその子の家があった。
 お母さんが待っていてくれたようで、いつものように手帳を渡し、福祉制度を説明した。

 お母さんはずっーと下を向いたままだった。

 

 障害児の福祉制度は成人と違うところもある。府市町村によって独自の制度もあるので持っていった資料と申請書を説明し、手渡した。

 お母さんには、なにか言えない、苦しみや悩みががあるのだろうと推測できた。だが、それは聴いてはいけないことだと思った。

 

 顔をあげられたお母さんの顔は涙で溢れていた。
 「ありがとうございます。この子がこの身体障害者手帳を手にすることが出来るなんて…ほんとうにありがとうございます。」
 それだけ、お母さんは言われなかった。後は泣いておられた。子どもさんは、家におられなかった。

 

 役所へ帰る足は、とてもとても重く、腹立たしさと悔しさと絶望が織り混ざっていた思いだけが残った。

 


 苦労して訪問したのに結局子どもさんに会えなかったんですね。

 

 涙であふれたお母さんの顔と感謝のことば、そこにあるとても重い問題を深く理解しなければ。

 

 思いつつ充分考えられていなかったことを反省しています。

 

 でも、同じようなとても似たような、いいえ、そっくりなことが日本で起きていたのでしょうね。