手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

手話通訳制度のため踏み込んだことのない新しい峰へ 日本を揺るがしたILOVEパンフ運動を知って

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  日本の歴史上 国が初めて

     手話通訳について
 調査しそのあり方を考えた

 

4、ILOVEパンフ運動の展開

 

 パンフ作成にとりかかる1985年7月13日には、全日本ろうあ連盟と全国手話通訳問題研究会との協議で次のようにパンフを広める運動方向が考えられ、基本的合意文章が交わされた。

 

 それは、

① 「手話通訳制度調査検討報告書」は、全日本ろうあ連盟が厚生省からの委託を受け、それを検討した結果を厚生省に報告した、としてだけで捉えるのではなく、日本の歴史上 国が初めて(委託=法律行為または事実行為などをすることを他人に依頼すること。)手話通訳について調査し、そのあり方を考えたものとして捉え直した。

 そのため、「手話通訳制度調査検討報告書」は国民への「報告」であると捉える。

 

 単に国民への報告として国民の意見を聞くに留まらず、日本に住むすべての人々への報告であり、国民という範疇に留まって思考しないという視点に立つ。(日本国国籍を有する人々だけではない。)

 

   諸費用ゼロで

   手話通訳制度化合同推進本部を設置

 

② パンフ発行と同時に全日本ろうあ連盟、全国手話通訳問題研究会、両団体の内部学習資料の二つを発行する。

 

 (内部資料はその後、送られてきたハガキを集約したものとして意見集として作成し、日本に住む人々からの意見を直接それぞれの団体が学習し、手話通訳制度を深く検討するものとなった。)

 

③ 基金センターを設立し、全日本ろうあ連盟、全国手話通訳問題研究会で共同の事業を行う。

(後に、手話通訳制度化合同推進本部-以下合同本部-へと変化し、運動の前進により両団体による手話通訳研究所へと発展させることを目指すなどの方向であった。)

 

 1200万人か 3万人のひとびとに
 手話通訳制度の意見を聞くのか

 

 パンフは、当初1200万部(日本に住む人々の10%以上)と提案された。

 

 しかし、従来の全日本ろうあ連盟の署名でも上限が5万人であったため、目標に5万部発行と計画された。

 

 パンフ5万部という数そのものは、一回の発行ということでは、全国手話通訳問題研究会はもとより全日本ろうあ連盟にとっても未踏の目標であった。

 

 そのためパンフ作成は慎重にして3万部とされた。

 

 論議は尽くされたが、7月13日の会議では、100万部発行までの計画が話されたが、それに伴う運動が従来の両団体の取り組みを超越したものになるため30万部止まりの話し合いが精いっぱいなものであった。

 

  国民的理解を得るために
 最低でも120万人の人々の意見を聞く

 

 しかし、両団体の代表がその後、充分話し合った中で、「国民の意見を聞く-それは国民の最低1%の120万人に意見を聞かないと成立しない」「全日本ろうあ連盟も全国手話通訳問題研究会も従来の運動行動では、国民的理解を得る上で一定の限界にきており、それを脱皮するため120万人という目標は達成しなければならない目標でもある」などから、最終的に1985(昭和60)年9月から1987(昭和62)年3月まで120万人にパンフを普及するという今だ踏み込んだことのない新しい運動の峰に到達する方向が確認された。

 

  パンフなどの諸費用 ゼロからの挑戦

 

 だが、手話通訳制度化合同推進本部にはパンフなど作成する費用、その他の費用はゼロ。

 パンフの拡がりのみの収入を見越した自転車操業状態であった。

 

 論議の過程で初版3万部(作成費用が一番かかり費用は高額、だだし増刷以降は初版があるため費用は安価の一途を辿る。)の拡がりがなかった場合は、パンフ作成者が諸費用を全額自己負担することまで確認された悲壮な覚悟の第一歩であった。

 

  記念すべき日だった1985年8月23日。第18回全国手話通訳問題研究集会(北海道小樽市)で全国に先駆けて配布・販売したときの担当者は、喜びよりも諸費用の支払いへの思いだけが残った日だった。

 

 パンフ売上金すべてを抱えて、印刷会社に持って行き、残金を待って欲しい、と悲壮な思いで懇願するだけだった。

 

 手話通訳制度を実現するための情熱はあったが、それを裏付けるものがないままの新しい峰に登頂する不安。

 

 パンフ制作者全員が抱いていたことも忘れてはならない事実であった。

 

 

 

手話通訳制度 すべての人々の賛否の意見を聞いてつくりあげられるもの 日本を揺るがしたILOVEパンフ運動を知って

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   手話や手話通訳をまったく知らない人に
 「手話通訳制度調査検討報告書」を読んでもらう

 

 パンフ作成までのプログラムを次のように組んでみたのである。


 第一段階は、ルポライターなどを仕事にしている人を探す。

 その人の条件は、手話や手話通訳をまったく知らないこと。その人に依頼して、「手話通訳制度調査検討報告書」を読んでもらい内容をまとめてもらう。

 

 まとめる上で、手話や手話通訳について理解できなかったことは、手話を知ったりする場を提供する。

 

 また、手話通訳の具体的な現場の出向き見聞きして取材してもらう。

 

 そして、理解できなかったことと理解できたことの間を埋めてもらい、文章にする。(第一次原案)

 

  文章の一字一句を並列的に検討
    改善を加え第二次案を作成

 

 第二段階は、第一次原案に基づいて全国手話通訳問題研究会と全日本ろうあ連盟の代表者が「手話通訳制度調査検討報告書」と「手話や手話通訳をまったく知らない人がまとめた。」文章の一字一句を並列的に検討し、改善を加え第二次案を作成する。

 

 第三段階は、第二次案を全国手話通訳問題研究会と全日本ろうあ連盟の両者に計り、承認を得て、パンフの完成を計るというものであった。

 

 この段階の作業をすすめる間にパンフを活用する取り組みも計画してゆく必要があった。

 

  15000字の文章を7000字に
「小学校上級生段階」にも

   分かりやすい文章にするが‥‥‥

 

 結果的に第一次原案は、一万五千字を越える文章を第一次案として提出されたため第二段階の第二次案作成の作業に入った。

 

 第二段階では、全日本ろうあ連盟代表から提案のあった「小学校上級生段階」にも分かる分かりやすい文章にするが、「手話通訳制度調査検討報告書」の内容と異なったものや誇張、逸脱したものには絶対しない文章にする。

 

 そのため一文一文慎重に検討し「手話通訳制度調査検討報告書」との整合性があるものとする。

 

 特にこの段階ではパンフの「性格」を決定して行かなければならず、パンフの体裁も含めた検討が行われた。

 平行してパンフを活用した取り組みも検討されたがそれは後に述べることとする。

 

 第二段階の作業には全日本ろうあ連盟代表二名、全国手話通訳問題研究会代表一名(代表二名であったが一名は全欠)が実質的に参画した。

 

第二段階の作業のでは、

 

① パンフをP として、約7000字とし、コンパクトなものにする。

 

② 報告書との整合性をふまえた上で、文章表現はより平易な方をとる。

などが改めて確認されて実務がすすめられた。

 

 パンフ作成の実務は締め切り期限もあり長時間にわたる打ち合わせを必要とした。

 

 作業は大阪ろうあ会館で行われたが、文章全文は、黒板に写され、一字一句の検討と討論、修正が加えられたが、この作業がその後の国民を巻き込んだILOVEパンフ運動を決定づけるものとなった。

 

  賛否、保留の意見を聞き

     手話通訳制度をすすめる

 

 第三段階では、第二次原案の文章を単に全日本ろうあ連盟や全国手話通訳問題研究会の学習テキストとするのではなく、国民にパンフを広め、国民に手話通訳制度化をすることの賛否(当然保留もある。)の意見を聞き、その力を背景に手話通訳制度化をすすめるという意見が次第に煮詰まってきたことから、パンフの体裁に大幅な修正が加えられることとなった。

 

  誰言うこともなくILOVEパンフ運動

 

 ① 表紙は、特別注文の人形をメインに親しみを持てるものとする。

 

 ② 国民の意見を集約するためハガキをパンフに入れる。

 

 そのためハガキをあえて表紙裏に印刷し、読み手にその主旨を分かるものとするなど、従来あったパンフのイメージを払拭する。

 ハガキは、料金受取払として、増刷の度に承認を得る。その費用は、全日本ろうあ連盟と全国手話通訳問題研究会の負担とする。

 

 ③ 簡単な手話もパンフに付けて手話が分かるようにするし、歌も入れる。

 

 歌は、日本音楽著作協会(出)許諾を得る。増刷の度に許諾を得る。その費用は、同上と同じとする。

 

 ④ 写真はパンフの価格のバランスを考えながら出来るだけ多く入れる。

 

などが考えられすぐ実行に移された。

 

 ⑤ パンフは、国民のみならず日本に住むすべての人々にコミュニケーションを広げることや国際的な連帯や国際的な手話表現を取り入れるなどが考慮されて「ILOVEコミュニケーション」と名付けられ、パンフを広める取り組みを誰言うこともなくILOVEパンフ運動と呼ばれるようになった。

 

 そして、パンフは1985年8月20日に完成し、同月23日に開催された第18回全国手話通訳問題研究集会(北海道小樽市)で全国に先駆けて配布・販売された。

 

 

手話通訳者 が除外された 手話通訳制度検討委員会 なぜ どうして 日本を揺るがしたILOVEパンフ運動を知って

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  ILOVEパンフ
代表者三名で検討され1ヶ月で作成された

 

3、ILOVEパンフの作成

 

 「手話通訳制度検討報告書」をめぐっては様々な評価が出されたが、報告書そのものの文章上の整合性上の不統一問題は、評価をさらに混乱させるものとなっていた。

 

 1985年6月1日全国ろうあ者大会岐阜集会で開かれた、全国手話通訳問題研究会と全日本ろうあ連盟の定期協議の場で、「手話通訳制度検討報告書」の「学習推進」が議題に上った。

 

 当初、全日本ろうあ連盟は、「報告書」の学習運動をどう進めるか、ということを中心的に考えており、その点で全国手話通訳問題研究会と共同学習を進めようというものであった。

 

 全国手話通訳問題研究会は、「報告書」の内容が多くの人々に知られていず、分かりにくいものであること、そのため分かりやすいパンフを作成し、手話通訳制度化の学習運動を進めるべきだ、と提案。

 

 それが全日本ろうあ連盟との間で合意に達したのである。

 

 合意の内容は、同年6月21日の定期協議で相互にパンフ担当者とパンフ作成案を提案し、台頭で平等な相互作業で作成するというものであった。

 

 その後、パンフ作成案は全国手話通訳問題研究会側からの提案のみ終始したため、それを原案として作業が進められ、全日本ろうあ連盟からは、二名、全国手話通訳問題研究会二名、一名は一度も参加せず、結果的に全国手話通訳問題研究会代表一名の三名で作業が進められた。

 

 ILOVEパンフは、第1回打ち合わせが行なわれ、以降1カ月以内という短い時期に精力的に作成された。

 

小学生6年生から読めるパンフ
    意訳や誇張をしない

 

 ILOVEパンフは、

 

① 手話通訳制度調査検討委員会報告書を分かりやすくしたものであるが、意訳や誇張をしない。

 

② 読み手の対象は、小学校6年生からお年寄りまで広範な人々とする。

 

③ 手話などの簡単な解説など手話普及の点も考える。

 

などの原則が確認された。

 

  原案を作成する責任
 全国手話通訳問題研究会代表

 

 ILOVEパンフの原案を作成する責任は、全国手話通訳問題研究会代表にゆだねられることになった。

 

 そのため、代表は手話制度調査検討委員会報告書(以下報告書)を小学校6年生に読ませた。

 報告書は、文章上の整合性が計られていないばかりか、漢字表記の点でも多くの不統一がみられ、小学校6年生には、その大半が学習したことのない漢字であったこと。

 

 そのことから報告書の文章のほとんどが理解できないものであったことなどが分かった。

 

 報告書のそのものの問題などもあって、報告書の主旨をふまえて分かりやすく、その本質がとらえられるようなパンフを短期間で作り上げることは至難の業であった。

 

  手話を知らない

 手話通訳の場面に接したことのない人々に

 

 さらに、手話を知らない、手話通訳の場面に接したことのない人々に手話や手話通訳や手話通訳制度のことをどのように理解してもらうのか、ということになると文章表現上の多くの工夫を必要とした。

 

 詳細な文章表現は、逆に理解を妨げる。

 

 簡略しすぎでは、報告書の内容をより正確に伝えることが出来ないなどの恐れがあった。

 

 以上の点を熟慮した結果、パンフの原案の原案となるものを手話や手話通訳、ましてや手話通訳制度などを全く考えたことのない人に「手話通訳制度検討報告書」をもとにその人の理解出来る要旨を文章として作成してもらうことになった。

 

 それに代表三名で、訂正、修正などを行なうというものであった。

 

 手話や手話通訳を知っている人であれば、思い込みの解釈をする。

 

 逆に知らない人は、知らないままで解釈する。そこを出発点として考えたのである。


  (少し学んだこと アイラブパンフの文から)

  はじめにの文を読んで、アイラブパンフが国や厚生省との関係で「意訳や誇張をしない。」としながらもさまざまな工夫を行ない真意を広げようという意図がみえました。

 

 ・厚生省は手話通訳制度の調査·検討事業をはじめることを決定したのに、なぜ厚生省は「事業は、財団法人全日本ろうあ連盟に委託」したのでしょうか。

 

 ・「ろうあ者、言語の専門家をはじめとする学識経験者、行政機関などがあつまって「手話通訳制度調査検討委員会」が発足」したのに、なぜ手話通訳者が検討委員会のメンバーとして選ばれていないのでしょうか。

 

 よくよく考えてみると、この文章の狭間に織り籠められていることが少しですが解るような気がしました。

 

 ーアイラブパンフに書かれていたことの紹介ー

 

  はじめに(漢字にはルビ)

昭和五十七年、厚生省は手話通訳制度の調査·検討事業をはじめることを決定しました。
 この事業は、財団法人全日本ろうあ連盟に委託され、ろうあ者、言語の専門家をはじめとする学識経験者、行政機関などがあつまって「手話通訳制度調査検討委員会」が発足しました。

 そして昭和六十年五月二十日委員会は「手話通訳制度調査検討報告書」(以下「報告」)をまとめ、厚生大臣に提出しました。

 「報告」は、付録資料をあわせ六六ページにおよぶもので、日本のろうあ者と手話の現状をときあかし、「手話通訳士制度(仮称)」のありかたについて提言しています

 このパンフレットは、「報告」の主旨を、より多くの国民のみなさんに理解していただこうと編集したもので、いわば「報告」のダイジェスト版です。添付のハガキを通じて、一人でも多くのかたから、ご意見、ご感想がよせられ、手話通訳制度がより豊かな形で実現することを願ってやみません。

 

すべての人々のろうあ者や手話や手話通訳にたいする率直な意見を聞き・学び直すという大学習運動 日本を揺るがしたILOVEパンフ運動を知って

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                     手話通訳研究28号より

 

  ろうあ者が直接地方行政に働きかけ
    手話通訳制度化をつくりあげる

 

2、ILOVEパンフ運動をすすめるまでの若干の経過

 

 戦前、ろう教育が、ろうあ者の意志とは別に手話法から口話法へと転換された頃に、手話を社会的に認知させようとする動きは野火のように広がりを示した。

 

 しかし、それが手話通訳制度への要求となるためには少なくない月日を必要とした。

 

 全国各地で名称はともかく、手話や手話通訳を行政の手で、行政に手話通訳者を配置してほしい、という運動はろうあ者を中心に次第に高まり、1962年7月10日福島県議会、1966年12月21日京都府議会における代表質問へと結実する。

 

 この時期は住民であるろうあ者が直接地方行政に働きかけ、手話通訳制度化をつくりあげる基礎的条件を作り上げてきた「地方自治レベルの時期」と言える。

 

国 厚生大臣 手話通訳の専門性と

  手話通訳者の身分の位置づけを約束

 

 地方自治レベルで取り上げられた手話や手話通訳の問題が国政レベルで取り上げられる以降は、社会的にもろうあ者問題、手話、手話通訳の問題は大きな脚光を浴びることとなる。

 

 手話通訳が制度的に整備してゆく、いわゆる手話通訳の制度化の問題が国政レベルで取り上げられるようになったのは、1981年2月14日の参議院での質問であり、福島県議会での代表質問から19年の月日が過ぎていた。

 

 しかし質問内容は歴史的成果をふまえ説得力のあるものであったため、厚生大臣は、手話通訳の専門性と手話通訳者の身分の位置づけを柱の方向を国として検討することを約束した。

 

 厚生大臣の約束は
   厚生行政側のイニシヤチブに変貌

 

 その後、手話通訳制度化に関して2度にわたる国会質問が行われたが、その都度厚生省側の答弁は変化し、厚生行政側にとってイニシヤチブが発揮されやすいような方向性が打ち出されたように思われる。

 

 この間の動きは大変微妙な問題が多くあり、今日的解明が求められている。

 

 国・厚生省が
  手話通訳制度化検討を全日本ろうあ連盟に委託
 厚生省の元幹部が検討の委員長

 

 結果的に、厚生省は手話通訳制度化検討を全日本ろうあ連盟に委託、厚生省の元幹部を委員長に「手話通訳制度検討委員会」発足。1985年に「手話通訳制度検討報告書」が発表されるに到った。

 


(少し学んだこと)


 アイラブパンフに注目していましたが、パンフを読んだ人々に次のような意見をおねがいしていたことはとても大切でした。

 

 ろうあ者と話したことがあるのか、手話を見たことがあるのか、手話通訳を制度化することについてなどの質問に対して、たとえ、偏見なことや誤解が書かれたり、不必要だとされても、そのまま受けとめ、膨大な印刷して学び直すという大運動だったのです。

 

 パブリックことメントがさかんになっていますが、そのすべてを知らされることは少ないです。

 

 でも、すべてをまるごと受けとめる。年齢順に整理して。小学生、中学生、高校生、大学生、社会人ー10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代、100代、日本のすべての人々の職種、職域までも網羅したろうあ者や手話や手話通訳にたいする率直な意見を聞き、学び直すという大学習運動でもあったのがアイラブパンフ運動だったのですね。

 

 今、アイラブパンフに意見を寄せられた方がどのように思って織られるのか、まで知ることが出来るのですね。

 

 ハガキに書いていただくというのは、たしかな考えを受けとめる大運動でもあったのですね。パンフの普及だけに注目していたことを恥ずかしく思います。

 

アイラブパンフ返信用ハガキ 

  ‥‥‥‥‥‥

ハガキをきりとって。あなたのご意見・ご感想をお寄せください。どんなことでも、貴重な資料として手話通訳の制度化に生かしていきたいと思います。

あてはまるものに○印を入れてください。

●あなたはろうあ者と話したことがありますか?
                          (はい・いいえ)
●手話を見たことがありますか?
                          (はい・いいえ)
●手話通訳を制度化することについて
                 (賛成・反対・どちらともいえない)

‥‥‥‥‥‥

このパンフレットをよんでどんなことでも結構です。 あなたのご意見.ご感想をお書き下さい。

 

  ※ 以下書き込み罫線

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今の手話通訳はもとめられてきた「理想像」なの 日本を揺るがしたILOVEパンフ運動を知って

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 最近、1994年2月24日付で全国手話通訳問題研究会運営委員会に報告された「ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説」をある方の手元にあり、それを読む機会がありました。

 

  ILOVEパンフ運動は、手話通訳認定や手話通訳のあり方に大きな影響を与えた事はよく知られています。

 

 ほとんどの人々は、ILOVEパンフ運動を受けとめた国・厚生省(のちに厚生労働省)が手話通訳士の資格試験や認定をはじめと言っています。

 

 またILOVEパンフは、120万部の普及とされたり、いや140万部普及されたとか、の意見があります。

 

 そこで、1994年2月24日付で全国手話通訳問題研究会運営委員会に報告された「ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説」を多くの方々に知ってもらい、もう一度、今の手話通訳のあり方が求められてきた「理想像」なのか、またそれに近いのかを考える時期に来ていると思います。

 

 遙か30余年に遡り、このことを考える価値があるかどうかは、読まれたかたにその考えは委ねたいと思います。

 

 大きな運動の出発点と中間、学べるものは多くあるのではないでしょうか。

 

 「ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説」を掲載するにあたり、この文章を読ませていただいた方から執筆者に了解を求めたところ、加筆などしなければすべてお任せするとの快諾をいただいた。

 

 ただ、文章に対する意見もぜひ書いて欲しい、とのことが付加されました。

 

 少しづつ原文を紹介させていただき、すこし意見も書かせていただきます。

 

  手話通訳制度の実現を直接国民に訴え
 直接国民から意見を聞き
 国民からの手話通訳制度の賛否の結果を

客観的に受けとめ 国に現状の改革を迫る

 

 「ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説」

  1、はじめに。

 

ILOVEパンフ運動は、全国手話通訳問題研究会と全日本ろうあ連盟が共同で持続的にすすめた初めての運動というにとどまらず、ろうあ者運動や全国手話通訳問題研究会運動の歴史に残る画期的国民運動であった。

 

 その運動の特徴は、手話通訳制度の実現を直接国民に訴え、直接国民から意見を聞き、国民からの手話通訳制度の賛否の結果を客観的に受けとめ、国に現状の改革を迫るという国民合意にもとづく手話通訳制度の方向をめざしていことにある。

 

 このILOVEパンフ運動を振り返る場合次の時期に留意して考えてゆく必要がある。

 

①戦前、戦後、手話通訳を要求した時期

 

②地方での手話通訳保障運動と地方自治体での取り組みがすすめられた時期

 

③国政レベルで手話通訳の保障とその制度が論じられ、それを受けた手話通訳制度検討委員会が検討と結論を出した時期

 

④ILOVEパンフの作成とその運動を進めた時期

 

⑤ILOVEパンフ運動が地方レベルから国政レベルへと発展していった時期

 

⑥そしてその後の時期

 

であるが、今回は4の時期と5の時期を中心に文をすすめてゆきたい。

 

手話言語条例 少しずれ メヒコ(メキシコ)が提案したことは

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En solidaridad con Takahiko Mochida comentario 訳   1/12/2019 京都手話通訳問題研究会会長持田隆彦 ねっとわーく京都

 

  崩された京都の福祉がすすんでいたところ

 

  持田隆彦は、京都の福祉がすすんでいたという。

 

 だが、ほかのところでやらないのなら京都もやらないという、一律取扱を嘆いている。

 

  京都の手話通訳はすすんでいたが、

 

持田
 京都府内の自治体では手話通訳者は正規職員で雇用されていましたが、その方々が定年退職されるとその後は嘱託職員としての採用となって正規職員がいなくなっていきます。

 

 手話通訳者の職員募集でも通訳者の年齢は50代、60代ですから、募集要項を見ると35歳までとか、現実とあっていないように思います。

 

 先ほども言いましたが、昔は手話をしている人が若かったから良いのですが、最近では手話通訳者は「絶滅危倶種」とも言われています。

 

と変化の原因を指摘する。

 

  次の世代への

 バトンタッチできる人が育っていない

 

持田
 いまの若い人はスマホやITが使えてなんとか情報を得ることができるかもしれません。

 

 それが使えない高齢の人たちが一番通訳を必要としているのですが、通訳者が高齢になっていなくなっているのです。

 

 ですから若い人たちを育てていかなければと全国の支部長会議でも議論にはなるのですが、なかなか難しい問題です。

 

   手話言語条例
 要求や思いと少しずれたところもある


 次の世代へのバトンタッチできる人が育っていないのが全国的な課題です。京都府内でも手話言語条例が11の自治体で定められています。

 

 全国的に見てもこれらの条例は首長さんや議員からの提案で成立しているのが多いように思います。

 

 ということは一般の聴覚障害者や手話に関係する人からの要求や思いと少しずれたところもあります。

 

 条例ができたから良しではなく、うまく育てていくことが今後の課題でもあるし、京都でも求められています。

 

 鳥取県や千葉県、明石市が少し先に進んでいるように思います。

 

   手話言語条例 知事 市長などの姿勢で変わる

 

持田
 京都市は府内で2番目に条例ができた自治体ですが、そこから前に進んでいません。

 

 もう少し頑張ってほしいと思います。

 

 首長の考え方、姿勢で本当に変わると思います。

 

  メヒコ(メキシコ)が提案したことは
   なんだったのか

 

手話言語条例の切っ掛けにもなったとされる障害者権利条約。

 

 日本の手話通訳の人々は、よく「手話が、障害者権利条約で認められた」と主張する。

 

 だが、障害者権利条約に至る経過をよくご存じない。

 

 国際権利条約とされるものは、2001年12月、第56回国連総会においてメヒコ(メキシコ)が提案して国連で5年間検討後、採択された。

 

 なぜ、メヒコ(メキシコ)が提案したのか、当初、どのような提案だったのか。それが変えられる中でどのようになったのかは、ぜひ検討、研究して欲しい。

 

  締約国は、感覚の障害を持つ人々が利用する、様々な形の代替的なコミュニケーション方式へのアクセスを促進する。また、このような障害者の言語的権利(linguistic rights)を促進する、の部分がどのようになったのかも。

 

 日本のみなさまへの提案です。

 

 

 

 

漢字に多くの影響を受けた日本の手話も否定するとは

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En solidaridad con Takahiko Mochida comentario 訳   1/12/2019 京都手話通訳問題研究会会長持田隆彦 ねっとわーく京都

 

  漢字に多くの影響を受けた日本の手話

 

 漢字は古代中国で考えられアジアの多くの国に影響を与え、日本でも使われている。漢字は、世界四大文明のひとつである黄河文明に遡ってその表記が研究されているのは愕く。

 

 従って、漢字一文字が組み合わさって無数の意味と表現がなされるので非常に複雑だとおもえる。

 

 その漢字に多くの影響を受けた日本の手話はとても興味深い。

 

 だがしかし、その手話が「否定」する人々がいることはとても悲しい。

 

  情景と心情をも現す「帰るという手話」

 

  日本の手話で「帰る」という手話がある。

 

 「帰」は以前は、「歸」と書かれていて「おくるの意味」があるとされている。

 

「見送る」という意味だろうか。

 

 日本の手話では、帰るという手話は、眼から次第に人々が遠ざかる表し方をしていると聞いた。

 

 見送る人から去って行く人。

 

 その人の姿が次第に次第に小さくなって消えていく情景を描いていると教えていただいた。

 

 時には、お酒を酌み交わした友が無事帰るようにと願っていると、真っ直ぐ姿が消えるのではなくうねうねと目の前を蛇行して消えていく「帰る」とも現せると聞いてとても感動した。

 

  見送ってもその人が見えなくなるまで見つめる

 

 帰る情景が見事に手話で表現されるからである。

 

 帰る人を見送ってもその人が見えなくなるまで見つめることが出来なくなっているが、世界共通の表現と思える。

 

 人の姿が小さくなって見えなくなる情景は、民族の踊りや言葉のなかでしばしば使われている。

 

 少し説明すれば、共通性を見いだせるものだ。ところが、違いを強調する人が多い。

 

 どこどこの県のどこでは、このような手話をするが、これでは他の府県で通じないとか。

 

 たしかに違うということになるかも知れないが、デハ、ソノ、シュワ、は、ナゼ、ソウスルノ?と聞けば他の地域と共通する意味合いを見いだす。

 

 違うと言うことは、否定で使われているようであるがそうではないだろう。