手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。このブログは多数のみなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられています。過去と現在、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

手話で石はコウダ、と決めつけている限り情景を表現して伝えようとする人の想いを「読み解く」(みて解く)ことは出来ない

communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真などは了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

interview
   「石」と石畳の「石」が違うように見えるのですが。

元手話通訳問題研究編集長

  確かにそうですね。この場合は左手で石を表し、

 この場合は、動きが速くて撮影できていませんが。

 

 右手を拡げて左手首を鋭角に曲げて「石」を現しておられます。


 この左手首や右手首を鋭角に曲げて打ち付ける手話は固いと言う意味を内包していてそれを左右に打ち付けることで石の 口の部分を表して固い口=石とされています。

 

 一般的にがんだれに(厂)に口を合わせて石と書きますが、手話では石は多様な表現があります。


 例えば、握り拳をあごにあてて「固い」=石とか。

 

 握り拳で石とか。

 

 握り拳を上下に合わせて下の拳を上にまた下の拳を上にと積み重ねて石垣と手話で表したりさまざまあります。

 

 大家さんの場合は、天安門広場はとても広く平らな長方形の石が平面につなぎ合わせているという事からこのような表現をされたと思います。

 

 手話で「石はコウダ」と決めつけないで、石の手話でも情景を現す場合に巧みに手話を変えて表現されているところをも学んでほしい処です。

 

interview
   「石」と石畳の「石」が違うように表現される。それが手話の深い意味合いなんですね。

 

元手話通訳問題研究編集長
  手話で石はコウダ、と決めつけている限り情景を表現して伝えようとする人の想いを「読み解く」(みて解く)ことは出来ないのではないか、と思いますが。

 

 

 

敷き詰めた石畳  その石の大きさを巧みに手話表現

 

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2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真などは了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

 元手話通訳問題研究編集長
  ここで、天安門広場の様子の大家さんの写真を見てください。
 



  撮影できないほどの広大さを手話表現

 

 写真撮影に時は、特殊な三脚で大家さんとの距離はかなり離れて撮影したのですが、広場が眼の中に入る以上に大きいということで両手を思いっきり拡げておられ手指の先まで撮影できなかったのです。

 

 それほどの迫力のある表現の手話であったことを私たちに表現されていました。

 

interview
 ただ大きいだけでなく見渡せないほど広いという事でしょうか。

 

元手話通訳問題研究編集長
 そうですね。

 

 手を横に水平に広げてもまだ表現しきれないほどの「とてつもない広場」だったと表現されています。
 
   石 石畳 石の大きさの手話表現の違いと表現方法

 

 ここで注視したいのは、伊東雋祐氏が、「敷き詰めた石」と「石の四角形」というところの「石」を大家さんは、別な表現でされているのに「石」と書いている点です。

 

 「敷き詰めた石」は、「石畳」と読み解くべきだったと思っています。


 その理由は、右手を「グー」にして石を表し左手を少し斜め横に置いている点です。これは、畳や畳屋を現す手話表現です。

 

 畳屋さんは、藁を重ねて上に藺草(い草)を載せてその端を別の布で覆い太い針(畳針)で縫い合わせて畳をつくる。

 

 その時、分厚い藁とい草と布を針で通して縫い上げるとき縫う部分を肘で押さえて針を通して引き上げるとき片方の肘を針の近くに置いて畳針をぐいっと引き上げる動作から手話で「畳」と表現されていました。

 

 従って「石畳」が置かれていたとする必要がより正確ではないかと思います。

 

 次の「石」の表現は、手のひらに横の手のひらを相互にあてて「固い」=石 の手話表現でその石の形状を長方形だったと表されています。

 

 この違いを見ていただきたいと思います。

 

 地面に平らな石を隙間なく、または規則的に敷き詰めた石畳。

 

 その石の大きさ、の表現を巧みに手話表現されていることを知っていただければ。

 

 

 

 

人々=人民と現されているところに、大家さんの戦争の暗黒の時代を拒絶する思いがが籠められて人間みな平等という思いがある。「人々の集う・集まる 場所」=人民広場 

 

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2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真などは了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

元手話通訳問題研究編集長
  引き続き大家さんの中国北京の写真を解説させていただきます。

 伊東雋祐氏は、大家さんの手話を以下のように読み込んでいる。

 天安門人民広場は、ものすごく広大でした。敷石が40万、 四角形の石が敷きつめてあり、 40万の人が立つのと同じ大きさでした。

 

 まず人に馴れ、場に慣れるより手がないだろう。
 さて、次の 「人民広場はものすごく広大だった」 という表現に進んでいただきたい。 「人々」で両手はうんと広げられ、「広い」 では眼を閉じた表情を加え、さらに 「広場」の「場」の手の使い方にいたっては、まことに見事である。
 実のところ、「場」 というの手話は右手だけでよいのだが、 大家先生の場合は左手もあそんではいない。 生きた手話の流れというものはそうしたもので、単なる手指の記号運動ではないのである。 そこは石畳になっているのであろう。

 と述べている。

 

この写真を一つづつ掲載し、検証したい。

 

空書(空文字)の読みとりは

文字を反対に読まねばならないので大へん難しいものか

 

 伊東雋祐氏は、「天安」と空書されています。 「写真だけでは一寸わかりにくいし、 実際の場合でも空書の読みとりは文字を反対に読まねばならないので大へん難しいものである。」とされている。

 

 が、いわゆる空文字は、一見 読みにくいように見えるが人間の視覚的構造から比較的読みやすいものである。

 

 なぜなら、人間の視覚的認識は、左右・上下がクロスして認識されるもので「大へん難しいもの」ではないと思うから。

 

interview
  そうなんですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
  天・安・門 といわゆる空文字空に描きますので見てください。


 漢字が認識出来たのでは。

 

interview
  たしかにかにそうですね。

 

 

手話 漢字の語源(もともと象形文字から発生)を巧みに穫り入れ手話で現し連続される技巧を学ぶ

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2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真などは了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

interview
  北京での感動を表現されている処にそれが現されています。と言うことですが、手話通訳問題研究誌に掲載されているそのもので説明されるという事ですか?

元手話通訳問題研究編集長
  そうです。当時、手話通訳問題研究誌発行で「青息吐息」だったので、解説した伊東雋祐氏の文を補足、解説、訂正できなかったので少し解説するために転載します。

 伊東雋祐氏は、以下の解説をしています。

「北」人間の手の機能とマッチしながら
 北の漢字の源流を現している

 

 ここで北京の「北」と「京」の手話を観ていただきたいのですが、北という漢字は、よく使われる「左右の人差し指と中指を広げて」北と現すのではなく、当用漢字の北を模してはいません。

 

また「京」も同じです。

 

 じつはこの手話のほうが、指を無理に曲げることなく人間の機能に合った表現なのです。

 

 北はもともと人間が背をつけるところから発祥しているので肘をつけた手話表現をされています。

 

interview 
  ええそうではないのですか。では、西の意味と同じ「京」そうですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
  そうです。

 

 みなさんは、よく鋭角に手指を動かす手話をされますが、形式に縛られない人間の身体の機能に合った自由手話をされています。

 

 この場合は、先に述べた桂林を漢字の手話と異なっ広く知られているであろう、北京、という手話を先に表現されています。

 

  「手の遊び(では)」ない

  次の手話へ移行・連続することから学ぶ
 

 次に伊東雋祐氏が「手の遊び(では)」と書かれている部分は、「手の遊び(では)」ないのです。

 

 1/180秒のコマドリ写真だから捉えた「手の遊び(では)」ない次の「自転車」への手話へ以降する瞬間です。

 

 左右の手の位置と次に自転車を「こぐ」動作の手話の移行の瞬間なんです。

 

 手話は、単語の羅列ではなく、手話の連続した動きであることを示した写真であることを学んでいただきたいのです。

 

数千の聞えない人びととの「対話」から手話を学びつづけた

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2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真などは了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

interview
  手話は歴史的文化遺産ですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
  そのように捉えてもいいのではないかと考えています。

 

  手話に籠められた複雑でかつ深い意味合い
    情感・創造・端的なコミュニケーショ

 

 手話に籠められた複雑でかつ深い意味合い・情感・創造・端的なコミュニケーション等などは、「過去」のこととか「昔」でかたづけてはならないのではないか、と思います。


 よく昔の手話と簡単に言う人がいますが、その「昔」はいつのことを言うのでしょうか。

 

  長い年月のたった過去?

 今とはまったく違う過去の事でしょうか。

 それとも古文にある時間の長さにはかかわらないので前日を意味しているのでしょうか。

 

 近年の「新しい手話」とか「正しい手話」とは、今の三つの意味を踏まえたものでないことはたしかなように思います。

 

数千の聞えない人びととの「対話」から

手話を学び続け「手話の流れ」で

お互いの交流・コミュニケーションをすすめてきた

 

  私は、手話テキストから手話を学ぶというより数千の聞えない人びととの「対話」から手話を学んできたので「手話の流れ」でお互いの交流・コミュニケーションをすすめてきました。

 

 ある人の手話テキストがベストセラーになった時にその本を手に取って見ましたが、柔軟性や歴史的経緯を踏まえず、断定的すぎると思った事があります。

 

 ここでよく知っておいたのほしいのは、手話は、手話単語だけ、手話単語の順列だけではないと言うことです。

 

  人間の視覚機能と手話

 

 あとで説明しますが、私が手話を学んだときは、「空文字(空に漢字やひらがな・カタカナ」を書いて手話では「このように表したり する場合がある」などのことがありました。

 

 ふっと考えたのは「空文字」は、表する側がそれは漢字を表す側から書く。

 ところが、見る側からすれば鏡の写った物として逆方向で見えるわけです。

 

 それでも漢字が読めるのは、とても不思議な気持ちがしました。が、あとで人間の視覚表裏があっても見る側によってそれが読み取れる機能があるという側面を学びました。

 

  手話を見る側からのイラストが描かれてる手話テキスト

 

 このことを詳しく言いませんが、人間の視覚機能を調べてみてください。

 

 最近みなさんはよく手話テキストで学習されますが

 

 描かれた手話のイラストなどはすべてと言っていいほど手話を見る側からのイラストが描かれています。

 

 手話を学び、自らが手話で表現しようとすると「戸惑う」訳です。

 そこで手話テキストで学んだ人たちはそのテキストどうりにやろうとすると頭の中がこんがらがってしまったりする。

 これはある意味当然のことです。
 

「相手の頭の中でイメージをして映像化」する手話手法

 大家さんの手話は、桂林という漢字をイメージさせるのではなく、桂林の情景を相手に伝えることによってどのように素晴らしい風景であったかを「共有」する手話であり、手話を見る側に桂林を「相手の頭の中でイメージをして映像化」する手法。

 

 手話表現されているのを鑑賞・研究をして行く上での重要なポイントではないかと考えています。

 もちろん大家さんは、漢字表記を手話で表したりしておられますが、手話を見てとる側のことを考えて使い分けられる。

 

 そこに手話の深い味わいと慈愛があるのではないかと思います。

 次に、北京での感動を表現されている処にそれが現されています。

 

手話が充分練り合わせてつくりあげられてきたことを歴史的文化遺産として捉える

communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真などは了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

interview
 手話が、「通じあわないとき」は聾学校に行けなかった人と充分練り合わせて手話をつくりあげる、って今の私には理解出来にくいですね。

 

  眼の前に聾学校があっても入学も出来ない

 

元手話通訳問題研究編集長
  そうでしょうね。


 今ではほとんどの人が、聾学校やそれ以外の学校にも行くことができる。
 就学・学校に通えるでしょう。

 

 でも戦前は、聾学校に入学出来る人はごくごくわずかでした。

 裕福であるとかの条件。眼の前に聾学校があっても入学も出来ない、例え入学出来ても金銭的や労働力(ようは家族ぐるみで働かないと生きていけない、それでも生きていけない)の問題や親・家族・親類・地域の人々の問題(ここでは問題と表現しておきますが。)で学校に行けなかった。

 

 ようするに戦前、聾学校に行ける人は「超エリート」だったとも言えるのです。

 このことで悲惨な話は山より高くありますが、またの機会に具体的に話せたら、と思います。

 

 しかし、「 聾学校に行ける人は超エリート」だった、と言いましたが、大家さんの場合のように「聾学校に行けなかった人と充分練り合わせて手話をつくりあげる」人々が居たこともたしかです。

 

  読みたい、書きたい、人々に読み書きを
 学んでもらうために手話は「有効な方法」

 

 自分の学んだことを自分のこととしない。

 

 読み書きができない、読みたい、書きたい、とねがう人々に、読みたい、書きたい、人々に読み書きを学んでもらうために手話は「有効な方法」だったんです。

 

interview
 読みたい、書きたい、人々に読み書きを学んでもらうために手話は「有効な方法」だったんですか。

 

  読み書きを覚えるのに
   イロハニホヘト  あいうえお からでない知恵と工夫

 

元手話通訳問題研究編集長
 そうです。

 

 戦前は、イロハニホヘト ハナガサク 戦後は あいうえお はながさく などカタカナとひらがなの違いがありましたが、読みたい、書きたい、人々に読み書きを学んでもらうためには、イロハニホヘト ハナガサク あいうえお はながさく では、なく聞こえない人の日常生活の切実な問題から読みたい、書きたい、人々に読み書きを学んでもらっていました。

 

  みなさんは、考えられないけれど八百屋さんや魚屋さんで「いくらですか?」と聞くとき、


 手話の親指とひとさしと親指で丸をつくって中指から折り曲げて金を現し⇒手を差し出す。

 

 手話で値段を聞く。

 

 

 その金額を下げて、安くしてほしい、と問いかける。

 

 これらの手話と漢字の値段などと結びつけ合いながら漢字を覚えたり、ひらがなを覚えたりする「学習運動」とも言うべき「教育」が戦前・戦後と行われていました。

 

 1960年代には、筆談教室を開いてほしい、という切実な要求が出されていました。

 

  読みたい、書きたい、は切実
   摸索・試行錯誤の上で少しずつ読み書きが出来るように

 

interview
  それで、みなさんは文字を学ばれたのですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
  そう簡単ではありませんでした、が、教える方も学ぶ方も どうしたらいいのか、迷い苦しんできた。

 

 摸索・試行錯誤の上で少しずつ読み書きが出来るようになった人もいました。


 読みたい、書きたい、は切実でしたから。

 

  手話表現が変化してきた貴重な歴史を胸に刻み込んで

 

 この途方もない時間と取り組みの中から も 手話は生まれ、手話表現が変化してきた貴重な歴史を胸に刻み込んでほしいです。

 

包括 通じあわないときは聾学校に行けなかった人と
  充分練り合わせて手話をつくりあげる

 

 大家さんのことで


「すべてではありませんが、大家さんのように戦前の聾学校で学んだことを手話表現するとき、わかりやすくていねいに表現する。通じあわないときは、聾学校に行けなかった人と充分練り合わせて手話をつくりあげる、ことをされていました。」


と述べたのはそういう意味を包括していたことを知ってほしかったからです。

 

 手話や話し言葉は、多様で複雑で形成されています。

 

  複雑で多様な中で交流し理解し合うことで

  共通のコミュニケーションが成立してきた

 

interview
 一つではないと通じないのではないですか。

 

元手話通訳問題研究編集長

  複雑で多様です。

 

 が、その複雑で多様な中で交流し、理解し合うことで共通のコミュニケーションが成立してきたのではないかと思っています。
 
 ひとつではない多様だから共通性が産まれてきたのではないか、と思っています。
 
 きりがないので‥‥‥すが、日本では標準語が造語され、それが全国各地でなかで暴力的強制的に使うようにされてきました。

 

 国際的には、共通語と表現されているのに‥‥‥‥‥‥

 

充分練り合わせて手話がつくりあげられて
 きたことを歴史的文化遺産としても捉える

 

 手話表現するとき、わかりやすくていねいに表現する。通じあわないときは、聾学校に行けなかった人と充分練り合わせて手話がつくりあげられて来たことを歴史的文化遺産としても捉えるためにも写真でそれを残し伝承したい、と思い連続写真で 瞬間 瞬間の手話を残そうと考えて手話通訳研究誌に掲載したのですが、理解してくれる人はかなり少なかったです。

 

 

 

手話 象形文字からも変化した漢字を巧みに取り入れ動作と意味が籠めらる

communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真などは了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています

 

interview
 手話のルーツは漢字に多くあるのですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
  手話のルーツは漢字に多くある、のは確かです。

 

 が、ここで知っていただきたいのは戦前の聾学校に入学出来た人はごく一部の人々だったという事です。

 

戦前の聾学校に入学出来た人
   漢字の特徴を捉えて巧みに手話で表現

 

 戦前の聾学校に入学出来た人の中には、
 
 漢字の特徴を捉えて巧みに手話で表現する。
 

 例えば、写真の大家さんの見る・観るは、漢字の「看る」から来ていると思います。

 

 

 手をかざす事で頭上の光を遮ってよく見えるようになる。

 

 目と、手(龵は変わった形)とにより、目の上に手をかざして遠くを「みる」意を表す⇒みる、注意してよくみるとして、「看護」などに漢字表記として多く使われが。

 

人間の身体機能に負担をかけることなく

 ごく自然に表現出来る手話

 

「龵」の方が人間の身体機能に負担をかけることなくごく自然に表現出来る。

 

この手の位置は目の上に手で光等を遮るということですが、注視して欲しいのは「手を眼に上に置くのではなく龵とされている」事です。

 

 私もいくつか試してみましたが、「龵」の方が人間の身体機能に負担をかけることなくごく自然に表現出来ることが解ってきました。

 

  漢字は、象形文字から変化していますから決して無意味ではなく、人間の動作と意味が籠められています。

 

 それの特徴を手話に取り入れられて来ている事実と歴史を知ってほしいと思います。

 

interview
  そうなんですか。

 

手話で通じあわないときは聾学校に行けなかった人と
 充分練り合わせて手話をつくりあげる


元手話通訳問題研究編集長
  すべてではありませんが、大家さんのように戦前の聾学校で学んだことを手話表現するとき、わかりやすくていねいに表現する。

 

 通じあわないときは、聾学校に行けなかった人と充分練り合わせて手話をつくりあげる、ことをされていました。

 

 私は、このことにいつも驚きと聾学校に行けなかった人と充分練り合わせて手話をつくりあげる人間味あふれる様子をみてきました。

 

 でも、自分は聾学校を出ているから、通じあわないときは、聾学校に行けなかった人と充分練り合わせて手話をつくりあげる、ことを「拒否」したり、聾学校に行けなかった人を「蔑視」したり、エリート意識を前面に出す人もいたことも事実としてありました。