2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧
communion of mind with mind お尻で止めて、握り拳を当てて、「パー」とした歯科医を加悦さん(仮名)さんが、褒め称え、本当の手話なんだと何度も語り、多くのろうあ者に話し続けたことが心に残った。 医者にかかるから手話通訳を、と頼まれたときは、長時…
communion of mind with mind 京都市内は、むかしから地形の影響もあり清らかな水が湧き出でる。その清水が至る所で流れ、碁盤の目の路と交叉したり、並行したりして人びとの暮らしを支えてきた。 そのなかでも船岡山あたりは、樹々が生い茂り極暑の夏でも人…
communion of mind with mind 今日、日本の伝統産業は世界から高く評価されている。その技法、美、機能性などなどに感嘆することも多い。 日本の伝統産業は、さまざまに紹介されている。 だがしかし、その伝統産業を支え、伝承し続けてきた人びとの中に多く…
communion of mind with mind Bさんから、出会うあうあ者のひとりひとりの手話を「まねる」ようにと聞いた。 しかし、これは簡単なことではなかった。いま思い出しても大変なことであった。 明治時代、大正時代、昭和の戦前、昭和の戦後を過ごしてきた人の手…
communion of mind with mind 過日、手真似と言うとひとりの方から激しい批判を受けた。 それは手真似と教えられて、手話を学ん出来たことへ熟知した上での批判であったかどうか払拭出来ないでいる。 激しい批判をしただけでその人は、批判する理由や根拠を…
communion of mind with mind 猪口(仮名)さんが、あの手話通訳者は信頼出来る、と触れ回っていたことをBさんは、すでに知っていた。 そして、手話通訳する人への信頼について次のように言った。 1,今は、手話通訳をする人はとても少ない。 だから私たち、…
communion of mind with mind Bさんは、沈黙の行動で「手話通訳は、何から何まで全てをろうあ者のためにすることではなく」と示していたことはあとで知った。 Bさんは、「自分で出来ることは自分でするから」ということで、手話通訳を頼まないこともあること…
communion of mind with mind Bさんの声は、弱々しく聞え、圧迫された声、と思い込んだが、Bさんは平気でたばこを吸いすたすたと歩いて行く。 店の人にBさんの声が通じていたのであるが、と述べた。 Bさんは、産まれてから今まで自分の声を聞いたことがない…
communion of mind with mind 人間は、新たな体験をしたとき、その印象は強く残るものである。 ましてや知らなかった、いや知らされていなかったことを、知ったときの印象は心を揺さぶるものが強く残る。 手話を覚えはじめた頃、手話通訳として何かやらなけ…
communion of mind with mind まず最初に、「聾」について、龍+耳で構成されているが、龍にこもる、たちこめるという意味から形成されてきているが、「こもる」「たちこめる」ことから「ハッキリとではないが」「ぼんやりと聞こえる」という意味をも含んで…
communion of mind with mind 手話検定試験などが推し進められて、ろうあ者の人々が創り上げてきた手話について人間性が省かれてしまって、まるで機械化された手話が手話とされていると思われることがあまりにも多い。 残念なことは、手話検定試験などが推し…
communion of mind with mind 空間と時空の組み合わさった手話を文字やはなしことばに置き換えることのキーは、手話の玄理にある。 このことを検証してみたい。 それ以前に、はなしを少し遡ることとする。 前述した、 山本正さんは、みんなの手話を見ていて…
communion of mind with mind truth 「対の手話」は、幾通りにも組み合わせることが出来、その限界はない。 手話表現を「ひとつ」だけとする固定概念は、その「限界なき手話表現」を理解する事は出来ないのである。 それを認める事の出来ない人々は、「限界…
communion of mind with mind truth 手話の微妙な手指の動きから想いを見出さないで、すべて手話では「同じ」と断定することは、人間の心情をも見ない画一的な捉え方となる、と述べた。 この場合、手話で表す場合に「表情」とくに「眼が語る」ことを加味しな…