手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

自らの聴覚障害を知り考えはじめ 自己形成期と教育 

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 授業を積み重ねる度に論文形式で発表する機会があれば 膨大な教育論文の実績を残すが 村上中正氏の1971年試論の探求は、 学校の教師が教育実践で昼夜を忘れて授業研究をして授業をし、その授業に反省を加え…

インテグレーションの成功者の経験はつくられる 聴覚障害児ふつうに会話が出来れば普通児

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求は、聴覚障害児やその家族の置かれた社会状況を理解することをもとめる。通常、人と人との関わりので論じられる聴覚障害児の状況をこともたちの置かれた基盤から解明すべきと…

ろう学校の生徒や卒業生たちを全面否定 まかり通る人格否定のなかで

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 インテグレーションやインテグレーションして育ったとされる聴覚障害者のことや聴覚障害者自身が発する評価は多く知ることができる。 それらを読み進めてきたが、「自己表出」「敵愾心」「疑問」などのこと…

聴覚障害者が手話通訳をみて大きく頷く 学校にも行けず文字も読めないが

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求は引き続き九歳の壁を論じている。 「九歳の壁」を乗り越えられたとする生徒自分なりに咀嚼し自己表出できにくくなって自分を取り巻く周辺に敵愾心を抱いたりする可能性 「九…

「九歳の壁」の「壁」は存在ない ろう教育実践から

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求は、 ろう学校幼稚部「九歳の壁」 教えていたことから「九歳の壁」の「壁」は存在しない 村上中正氏は、ろう学校中学部で生徒たちに読み、書き、表現などを教えていた。 その…

聴覚障害児者のエリート主義と教育観 教育の平等と人びとの平等

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求は、インテグレーションと聴覚障害児のエリートの過程を次のように述べる。 学童期=小学校におけるエリートとなるための必須条件 九歳の壁を乗りこえること 聴覚障害児を幾層…

聴覚障害児は九歳で「エリートの道」に進むことが出来るようになるのかそうでないのかを論破

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求は、「九歳の壁」研究に鋭く論破している。 「九歳の壁」にぶつかったとしても年齢は10歳、12歳と 「壁」と言い「壁」で区切って 「九歳の壁」研究を語る人びとの多くは、聴覚…

9歳の壁 決めつけ固定的な名称で使われた問題背景 ろう学校のインテグレーション

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求で1970年初頭にろう学校で盛んに主張されたインテグレーションした生徒の9歳の壁について述べられている。 インテグレーションした生徒が普通小学校で適応できない 「9歳の壁…

インテグレーションによる優劣の分断と平等教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求では、 インテグレーションした聴覚障害児 「優秀」である 当時の京都ろう学校の幼稚部の教師が推し進めたインテグレーションの結果、聴覚障害児が普通小学校で学ぶことが多く…

「口話教育傾注」の渦のなか ろう教育や難聴教育や聴覚障害児教育としない 聴覚障害者教育の提起

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求では、 ろう学校の授業における手話と授業実践 決められた枠組みの中での手話を操作しない ろう学校で手話で授業をすることは、1960年代の京都府立ろう学校では中学部を中心に…

ろう学校 人間の持つすべての能力を発揮して生徒と教師が学んでいたとは

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求は、さらに次のように述べる。 作り笑いでないこころからの笑顔と手話と生徒 わずか3秒の手話の中に、いろいろあるけれど、いろいろ出来ないかも知れないが、約束したよ、と締…

ろう学校 授業 3秒の間で生徒の思いと教師の思いが交錯させ一致して一緒に行動することを表出させる

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求は、次のように述べる。 生徒を授業の世界に引き込むろう学校の授業 ろう学校で手話が否定されと断定的に述べる 村上中正氏の手話や手話通訳は、演劇から学んだ技法も取り入れ…

名称とは裏腹に特殊教育を低位に取り扱っかわれるなかで

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求を思惟するにあたり、以下繰り返すことになるが当時の村上中正氏が在籍していた京都府立聾学校が教育制度上どのようにされていたのかを提示しておきたい。このことは繰り返し…

ろう学校の思春期の子どもたちに「波を形成し、強弱、動静、注目、まとめなどを視覚的」に授業

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の探求は、次のように述べる。 教職員を監視し分断する教育委員会 その嵐の中で 特に、今日では知られるようになった1965年の京都府立ろう学校授業拒否事件では、教職員組合のろ…

ろう学校の教師 時代おくれでなかったが

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障 「高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と「難聴学級」をめぐっての試論」(1971年)の探求(以下、村上中正氏の1971年試論の探求と記す。)には、次…

ろう学校・ろう学校長が手話や手話通訳を認めていた  手話や手話通訳の公的保障 1971年

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 第1回全国手話通訳者会議及び手話講習会では教育関係者が手話通訳の分野で大きな役割をはたしていたことが解ると述べてきた。 全国で初めて手話通訳者が集まる。ほとんどの人が顔見知りではない。さまざま…

日本の手話通訳及びろう教育を牽引した人・人々を忘れてはならない 研究団体としての全国手話通訳問題研究会の発案者でもある

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年から志向して 村上中正氏の聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障「高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と「難聴学級」をめぐっての試論」(1971年)の探求の執筆者と連絡がとれ引用はもちろん再々考察するこ…

戦前戦後 ろうあ者の存在や手話を使うコミュニケーション方法を無視されてきた日本の歴史上に手話・手話通訳への基本的認識の変革と基本的理解を広げたLOVEパンフ大運動

全国手話通訳問題研究会運営委員会報告(1994年2月24日)「ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説」を読んで 全国手話通訳問題研究会運営委員会報告ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説は、 日本の歴史に手話、手話通訳への基本的認識…

手話 手話通訳の未来 30年以前のアイラブパンフ運動を熟知して

全国手話通訳問題研究会運営委員会報告(1994年2月24日)「ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説」を読んで 全国手話通訳問題研究会運営委員会報告ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説には、 全国手話通訳問題研究会として中間集約と…

手話通訳制度化の憂いと希望 アイラブパンフ運動のねがい

全国手話通訳問題研究会運営委員会報告(1994年2月24日)「ILOVEパンフ運動その成果と教訓のための序説」を読んで 手話通訳士などの資格制度は、アイラブパンフ運動のねがいではなく、国・厚生省(厚生労働省)が打ち出した資格制度でしょう。 資格を与…