手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

宇治市手話言語条例 自らすすんで担当したいと申し出た人

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに {再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者成人講座は、1966(昭和41)年12月21日京都府議会本会議の質問と答弁からはじまった。 自らすすんで担当…

宇治市手話言語条例 宇治市に専任手話通訳配置までの道のりと深い背景

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 京都の手話通訳が 公認されるまでの若干の歴史 1956(昭和31)年以前一人の手話通訳者と京都ろう学校の教師が、個人的・奉…

宇治市手話言語条例 宇治市 全国初の手話通訳旅費・謝礼を支給

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 宇治市手話通訳保障に 全国初の予算 「なぜ、ろうあ協会の責任で手話通訳を呼ぶのか」「市の方が責任を持って手話通訳を呼ぶ…

宇治市手話言語条例 市に頭を下げてお願いしすがりつくことから自分達の要求を言えるように

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 手話通訳保障の行政責任を明らかに 「なぜ、ろうあ協会の責任で手話通訳を呼ぶのか」「市の方が責任を持って手話通訳を呼ぶ…

宇治市手話言語条例 宇治市 は仲よくやりたいと言いながらろうあ協会の責任で 手話通訳 を呼べとは

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者の福祉を なおざりにしてきた過去が暴かれることに 1968(昭和43)年7月山城ろうあ協会の機関は、宇治市に大…

宇治市手話言語条例 バカにされ、けいべつされぶじょくされ冷たい目でみられ人権が無視され差別される理由はどこにもない

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 6 このようなウソを本当のように、又事実を無実と決めつけて平気な福祉事務所のあり方に疑問を感ぜずにおられない。 ろうあ…

宇治市手話言語条例   黙ってはおられぬ

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 黙ってはおられぬ 宇治市ろうあ協会の会長の談話は、 福祉事務所とは、4月からいろいろな点、例えば近畿ろうあ者卓球大会を…

宇治市手話言語条例 人間性を取り戻せるという講座で

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 わたしたちの生活と基本的人権 わたしたちも人間だ 1968(昭和43)年7月8日に開かれたろうあ者成人講座の中身・講座…

宇治市手話言語条例「誤魔化しを許さない」ろうあ協会の機関紙

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 京都の北部の舞鶴市でろうあ協会が「筆談」で課長と「ろうあ協会が市長と会う日」を連絡した。 当日になって仕事を休んだろ…

宇治市手話言語条例  不快の原因は、あなたのとりちがえと宇治市福祉事務所長

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 福祉事務所長の「筆談」は、紙に鉛筆で書かれたもので紙質も悪く、もうほとんど消える寸前のものであった。 「筆談」で相手…

宇治市手話言語条例  こんどは通やくさんが入るのですか と宇治市福祉事務所長

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに {再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 (注:新聞記事の「福祉事務所としてはこれでは気の毒だと思いろうあ協会には、ろうあ者厚生対策事業費として特別に一万五…

宇治市手話言語条例 宇治市福祉事務所長 あとできいた ろうあ者の方を差別したりまたきよったなどというようなことはなかった

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 地元紙の新聞記事を見た福祉事務所所長は。非常に驚き、ろうあ協会の二人役員を呼んで「筆談」をした。 聞こえないから文で…

宇治市手話言語条例 お二人のひがみではないか 差別していない

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 この山城ろうあ協会の機関紙を手に入れた地元宇治市内の新聞社が次のような記事を掲載した。以下、1968年9月末付けの要…

宇治市手話言語条例 ろうあ協会の機関紙が与えた影響とろうあ者ためのろうあ者による新聞

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 山城ろうあ協会は、京都市以外の奈良県境までのろうあ協会でつくられていた。 1968(昭和43)年当時は、ガリ版で印刷…

宇治市手話言語条例助成金を配分 汽車の割引き券 それだけが障害者福祉の仕事じゃない

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 社協(注:社会福祉協議会の略称)から出ている助成金が10月頃決まり、実際手に入るのは年末問題で、山城ろうあ協会の事務…

宇治市手話言語条例 またキヨッタ問題と山城ろうあ協会機関紙

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 1968(昭和43)年、8月10日付の山城ろうあ協会の機関紙に次のような記事が載った。以下概略を掲載する。 ぶっきら…

宇治市手話言語条例ろうあ者の人々の暮らしや苦悩を乗り越えた市民連帯の気持ちが込められて

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 宇治市手話言語条例は、当初の「(仮称)宇治市手話言語条例の骨子」に対するパブリックコメントなどや宇治市ろうあ協会(か…

宇治市手話言語条例

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 2017(平成29)年12月27日 宇治市手話言語条例が施行されたが、この宇治市手話言語条例は非常に特徴的で歴史的な条例である…

ろうあ者のための行政懇談会を作って ろうあ者対策というものも充分に

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議 民生労働部長答弁 N議員の分の御質問にお答えいたします。 知事から…

ろうあ協会その他と充分連絡をとって推進しなければ ろう学校の教育行政はあがらない

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 1966(昭和41)年12月21日京都府議会本会議 谷ロ教育長答弁 ただ今お話になりましたN議員の御指摘の点につきまし…

私共が無関心で唇さえ見てたらわかるんだろうと甘っちょろい考えでいた事は誠に申し訳ない

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 お互いのはげまし合いお互いがお互いの 通訳の持てるような施設に 1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議 京…

これを機会に充分ろうあ対策を 1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 京都府知事答弁 ただ今のN議員の御質問について一般的な問題について私がお答えして、専門的なものは各関係者に答弁さして頂…

手話通訳制度 がなければ作ればいい 1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議 京都府会議員質問 手話通訳制度がなければ 作ればいいじゃないですか…

2000人のろうあ者にたっ二人の手話通訳者 1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに {再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議 京都府会議員質問 京都に二千人のろうあ者 手話通訳者はたった二人 …

1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議 京都府職員の手話通訳

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議 京都府議会議長あてに三つの要請本会議場において通訳をしてもらいた…

初めて京都府職員の手話通訳者が府議会議事場の演壇のすぐ横に立ち

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 未就学のろうあ者も含めたろうあ者も含めて京都のろうあ者の悲惨な生活を大きく変えていく取り組みの胎動は、1969年にあ…

「とても不可能だ」と思われてきたことを可能にした あの「娘さん」

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 出会ったやろうあのなかま その時の聴覚障害者の施設いこいの村の所長は大矢さんだった。 さっそく出会って大矢さんと話をし…

自分の家以外にも家がある人々がいる社会がある 「なかま」であるろうあ者がいる

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 私は年老い過ぎて、娘も年老いた、これから先のことは考えるすべもない、とお母さんの「ことば」。 「なかま」であるろうあ…

家の中だけの人生 お母さんが死んだら餓死する

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ある日のこと。 京都ろうあセンター相談員大矢さんと同行して京都府下南部の小さな家を訪ねた。 聞こえないというだけでも肩…

生きにくくされている社会 それでも純に生きる人と手を組み合える 手話通訳

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 激しい言い争いの後、福祉事務所は担当ケースワーカーの言い方では、正しくないと判断したのだろう。 Eさんの「当座の生活と…