手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

日本初 1971年 京都府立山城高等学校では聴覚障害の生徒を教育制度的受け入れ

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 配慮しつつも平等な入学試験 1971年。京都の京都府立山城高…

ひとみ みのる氏も聴覚障害の生徒と同じ学び舎で学びはじめた 1971年4月 

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 ひとみ みのる・人見実氏も 聴覚障害の生徒と同じ学び舎で…

部落差別、結婚差別、ろうあ者差別が織り籠められた大問題にろうあ協会取り組む

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 京都ろう学校高等部の授業拒否事件から4年後、1969年に結婚を誓い合ったろう学校の卒業生が、親の大反対を受ける。 それまで、好意的であった親が大反対した訳を調べた友人たちとろう学校の教師がその理由…

ろう学校教師 卒業生の結婚相談・仲人などで高額謝礼を受け取るが

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 京都ろう学校高等部授業拒否事件。 当時のろう学校校長は、同和教育に熱心に取り組み、管理職になったと言う人が多い。 校長は、すべての問題を差別として片付けていたようである、これに京都府教育委員会…

手話 差別 籠められた人間平等とそれを共に実現する思い 人間連帯と分断の違い

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 平等の手話 京都の手話で、平等は「左右の手のひらを胸の前で平らにそえて(合わせて、そこから)手の平を左右に広げていく」とのこと。 もちろん、併せて他にも平等・平和などの手話の意味合いもあった。 …