手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

手話蔑視 偏見 否定 不要の ろう教育 に対する実態と 伊東雋祐氏の受けとめ 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに {再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 言語指導として 口話法が強制されているのか 向野 口話法を指導するのでなぐ言語指導をするために口話法を使っているのだと…

ろう先生が手話を覚えるのはいけないといってはいない文部省 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者も手話を覚えたいという要求が 田中(奈良) 教師と生徒がお互に通じなくて私達が通訳をしましたが、京都のようにろ…

手話と口話とは矛盾しないと学校の教師 耳の聞えない人との食い違いがあるのか 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろう学校の教師と 耳の聞えない人との食い違い 伊東 手話と口話とは矛盾しないと思うが学校の教師と耳の聞えない者との食い…

手話法 と 口話法 対立か矛盾を統一か おおいなる批判と討論が結論として生かされただろうか 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者の権利として必ず通訳者を 落合 ろうあ者でも筆談ができる人はほととんど通訳がつけかない。 ろうあ者の権利として…

手話のわかる福祉司 の見直し 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ運動で要求されてきた 手話のわかる福祉司の見直しと課題 田中(横浜) ろうあ運動の中に手話のわかる福祉司をという…

ろうあ者 の取り調べに ろう学校教師 が通訳することを歓迎した警察 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 手話通訳のランク分けの是非と専門性 司会 外国語の通訳のように、プロとなった場合は、誰でも同じでは困ると思う。 A、B、C…

裁判所 から 手話通訳者 の名簿を作つてほしいと依頼が厚生省に 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 要求を受けた主催者は 当然通訳をつけるべき 司会者 ニードはどこに持つて行くんですか。 伊東 主催者側へ対してろうあ者が…

手話通訳 は ろうあ者 が要求するもの 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 手話通訳は機械でいいのか ろうあ者が分かるようにするために 司会者 それでは通訳者の位置づけについて話したいと思います…

手話はそもそも正しいか正しくないかというのは不鮮明 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 正しい手話 まちがった手話とはどんなこと 司会者 正しい手話とは何かということで向野先生から話しがありましたが。 斎藤 …

全国手話講習会をめぐって 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 司会の笠置さん(東京 こだま会)は、参加者の意見を促進するという基本的立場ではなく、従来の自分の考えである「正しい手…

丸山浩路 氏 手話通訳者 はあらゆる地方の手話を理解し覚えるべきこれが原則である  手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 丸山浩路氏が言い放った原則 丸山浩路氏が、東京の司会者が意図的に「「ろう者同志でも手話がちがう。全国などのか基本にな…

丸山浩路 氏 手話通訳者はあらゆる地方の手話を理解し覚えるべき 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 東京でも学校によって手話がちがう けれど交流を通じてまとまって 上森 地方のろう者と健聴者の連体活動が必要だ。 東京でも…

正しい手話 は相手に わかる手話 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 斉藤 この本(注 私たちの手話 )にそって通訳者も手話を覚えてほしい。 司会 日本語もたくさん使っている言葉が標準語とな…

手話の標準化 は ろうあ者運動の先駆者的役割をはした 大阪の手話 を 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 手話を全国的に統一する のはむずかしいと意見が 伊東 この本(注 日本ろうあ連盟発行「私たちの手話(1)」1969年発行…

「私たちの手話」 は大阪のろうあ者が創造し今にのこしている手話を編纂する目的でつくられた 手話の統一について 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 司会者 それでは正しい手話と手話の統一について話し合いたいと思います。 斎藤 手話統一に関して新しく私たちの手話という…

中味がまだなんですが全国手語通訳者連絡会 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 司会者 会員を個人会員とするか、団体会員とするかという問題はどうすれば良いでしようか。 中味がまだなんです 伊東 現在で…

全国手語通訳者連絡会 の強引に名称を決めた余波 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 名称を全国手語通訳者連絡会と決定します 伊東(京都) 現在は全国手話通訳者連絡会です。 他に御意見がなければこれに決め…

最初の話し合い 全国の 手話通訳者 の集会と組織・名称をめぐっての 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 第三回手話通訳者会議では、福島のろうあ者大会の第一回手話通訳者会議の開催を受けて手話通訳者の主体的な全国集会の開催が…

文章 を作って手話を覚える手話サークル 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 文章を作って 手話を覚える こだま会(東京) こだまの会は毎週土曜日やっている。 テキストは私たちの手話です。 文章を作…

ろう学校 を卒業しても 手話 がわからない ろうあ者 が多い 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者と聞こえる人と 分担して手話講習会 岡山 ろうあ協会からは金をもらっていない。 ろうあ協会の主催で手話教室を開い…

ろうあ者が手話通訳の必要を要求するう運動の高揚 批判には改善や創造がある 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 手話サークルに行政の援助と ろうあ協会と共同行動を 愛知県 大会の会場費などの支給を要請したがまだ支給されていない。 札…

京都の 手話サークル 手話通訳 は理想的と言う人々への現実的回答 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 司会者 まだ県とか市から補助金をもらっていないサークルはこの通訳者会議の情報を交換して一日も早く助成金を獲得したいも…

手話 を学ぶ人々が飛躍的に増え始める時期 第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 各行政は従来考えられなかった 手話や手話通訳を受け入れたが 第三回手話通訳者会議 1970年 5月2日ー3日 東京 197…

ろう教育が発達してくると手話も豊富に  第2回全国手話通訳者会議1969年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 司会 現在の学校教育のロ話法も混頓としている状態である。学校のねらいも変つてくると思う。 伊東 ろう教育が発達してくる…

わからない手話通訳をやつてもなんにもならない 第2回全国手話通訳者会議1969年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 全国の手話を考えた 上に立つて手話研究をやるべき 寺山 指文字に関して わからない通訳をやつてもなんにもならない。 貞広 …

新しい手話 丸山浩氏が整理・提案 手話通訳者 が決めるのか ろうあ者がつくるのか それとも両方で話し合うのか  第2回全国手話通訳者会議および通訳者研修会 1969年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 地方による新しい手話の創造 司会 ろう者自身が発展しているところもある。 ろうあ協会主催の研修会、学校を借りる等間題あ…

「全国で通じあえる手話」とは現在の新しい手話や手話テキストに掲載された手話で通じあうのではない 第2回全国手話通訳者会議および通訳者研修会 1969年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 活動をふり返つて それをどうかえていくか 「みみずく会」 京都では「みみずく会」とろうあ協会の活動の結果、専門手話通訳…

丸山浩路氏 プロ手話通訳宣言の本音と苦悩 第2回全国手話通訳者会議および通訳者研修会 1969年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者の権利か 手話通訳者の位置づけかの分岐 司会(京都ろう学校教師) この会議に出席することについて、私の場合、学…

法をまげてまでも、ろうあ者を守るのか 手話通訳者のあいまいな位置  第2回全国手話通訳者会議および通訳者研修会 1969年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者の権利を守る ろうあ者の立場に立つて 坂本 指文字について、東海地方はあまりやっていない。 東京ではよくやつてい…

罪なきろうあ者・冤罪 を被せることに 抗って 第2回全国手話通訳者会議および通訳者研修会 1969年

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 冤罪・罪なき者に罪を被せることに抗って 司会 結婚間題、雇用間題は明日少しでると思います。 蔭森 スリをやつた人がいた。…