2020-01-01から1年間の記事一覧
En solidaridad con Takahiko Mochida comentario 訳 1/12/2019 京都手話通訳問題研究会会長持田隆彦 ねっとわーく京都 持田隆彦は、日本の伝統文化と生活から生まれた手話を大切にしようと話す。 じつに感慨深い。 うらやましい 女性差別 卑猥とは 持田 (…
En solidaridad con Takahiko Mochida 訳 1/12/2019 ねっとわーく京都 1/12/2019 ねっとわーく京都に京都手話通訳問題研究会会長持田隆彦が、実に興味深いことをはなしている。 このことに対するcomentarioを発信する。 彼は次のように言う。 手話表現自体が…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 手づかみで食べる身振りから箸、箸を使う「過程」を考えてみよう。 手づかみで食べる身振りは、表現としてひとつ。 手づかみを仲間たちは、止めようとした人がいたけれど、止めなかった。 自分も同じ経験をしてきたから…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 瀬山君は、学ぶということを「教えられたこと」を「そのまま覚え込む」と思っていないだろうか。 また、教える人と学ぶ人を分けていないだろうか。 学ぶ人々がお互いに学ぶあってこそ 私は、学ぶことは学ぶ人々がお互い…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 手づかみで食べる暮らしへの援助 未就学の聴覚障害者と「いろいろあったんよ、」とは。 未就学の聴覚障害者AさんとBCDEさんや多くの人がAさんと話し続けた。 手づかみの食事は、Aさんの生活そのものを現していたという。…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 聴覚障害者の人びとは一生懸命 でもなんの反応も表さなかった 未就学の聴覚障害者と出会って、十数年経ってしまったが。 その人が、聴覚障害者の人たちの集まりに参加しはじめた最初の頃は、ただただじっとしているだけ…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 「手話の伝播」までに至る「法則」 なかまには笑みがあふれ出してきた、との話。学ぶことと意味があるので少し心に留めておいて欲しい。 同じ身振りと手話の繰り返しが続いたが、それから少しづつ手話が「伝播」して、さ…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 聴覚障害者の施設の廊下を歩いていると忘れることの出来ない娘さんに出会った。 昔の面影は残しながも表情は生き生きしていた。 ある聴覚障害者に同行して京都府下の小さな家を訪ねたと書いたが、同行した聴覚障害者が施…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 聴覚障害者が学ぶことが大切だというの?という質問は、学校で、という意味も含まれているだろう。 学ぶ機会がいくらでもある 今の時から過去を考えていないか 学校に行けなかったら、学校以外で勉強したらいいと言うか…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 聴覚障害者が学ぶことが大切だというの? 未就学の聴覚障害者の未来 ある聴覚障害者に同行して京都府下の小さな家を訪ねた。駅から歩いてとても時間がかかった。 農村地帯の集落の端。他の家と比べると「納屋」かと思え…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 聴覚障害で困ったことは なんにもない お母さんがしてくれる あなたの友人(仮名 瀬山君)から少し違った質問があり、それに対して書いた手紙のコピ-を同封しておきますので合わせて読んでみて下さい、と書いておきまし…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 本当に言いたいことを手話で表現が出来る あなたは、「受け身の手話」ではなく、「手話」はあなたのものでもあることも理解して、あなたの本当に言いたいことを手話で表現が出来るようになってきていますね。 人間の成長…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 「自己表現」することが「ひとつ」しかない いくつも表す手話なんて、おかしい、とまで言いましたね。 でも、そういうあなたの中に「自己表現」することが「ひとつ」しかないという「受け身のコミュニケーション」を見い…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 基本的人権の感覚が脱落した 聴覚障害者のコミュニケーション 私は聴覚障害者のコミュニケーション問題を論じるときに基本的人権の感覚が脱落していることに気づくことがしばしばあります。 例えば、聴覚障害者のコミュ…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 手話で会話をしている人たちの手話を すべて調査・記録・保存・研究・公開 日本では、それらのことがされないまま主観的に経験的に手話を断定されて、と書いたのは、手話で会話をしている人たちの手話をすべて調査・記録…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 はなしことばにも手話にも一長一短がある 手話を見きわめてゆけば、はなし言葉にある無駄なことがあったりして、手話で表現することを困難にしているとさえ感じられるときがあります。 日本語のはなしことば(音声言語)…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 速効力のあるコミュニケーション手段となる、と書きましたがコミュニケーション(communication)の語源は、ラテン語のコミュニス(communis)からとされています。 「共通したもの」「あるいは共有物」の意味があるとされ…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 手紙ありがとう。住民説明会の手話通訳と役所の行動について、どんどんと多くの人が賛同して輪が広まっている報告。ありがとう。 ろうあ協会の人たちも今までにない多くの人と知り合いになり、あちらこちらに出かけたり…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 道路拡張にともなう住民説明会 ③ 住民説明会に参加した人たちと気持ちが「ひとつ」になった記念すべき日 書き付けを振りかざしたろうあ協会の人たちに役所の人がやって来て取り押さえようとした。 それを見た参加者の人…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 道路拡張にともなう住民説明会② ろうあ者の人びとの手話を止めようとするなんて 住民説明会。参加した人と一緒の気持ち。 ろうあ協会の3人が、そうだそうだ、おんなじことばかり言っている、私も困る、そんな計画なら反…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 道路拡張にともなう住民説明会 ① とても心配していることと手話通訳の話 手話の相づち、と関連して、とても大切な手紙ありがとう。 道路拡張にともなう住民説明会。 ろうあ協会の3人のかたと親しくなっていて、あなたが…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 ナゼ日本では 先生は95%以上話すだけ 指文字ではない手話。あなたと学んだ手話は、音声言語を逐一表現する(文字を読むようにする)ことがないため、相手の言いたいことを理解したり、あいづちをうったり、話に入り込…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 聴覚障害者がコミュニケーションに受け身になる 指文字の場合は、音声言語をひとつひとつ、そのまま相手に伝えたことになりその点では音声に対して正確とも言えます。 が、指文字をひとつひとつ読みとる側(聴覚障害者)…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 指文字に見る いい友人関係、いい人間関係 さて、手話の話に移りますが、あなたの手紙から新年会の様子が目に浮かびました。 あなたの友人は必死になってすべて指文字で新年会の話を伝え、あなたも目を皿のようにしてそ…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 キッパリ断った 健聴の生徒の参加 健聴の生徒が、聴覚障害のことを理解したいので、あなたたち聴覚障害のひとの話し合いにも出させて欲しいと話。 でも、キッパリ断ったんですね。 みんなと一緒と言うけれど、何もかも一…
ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿 部分を見て全体を忘れ 部分を見て全体を忘れたり 全体を見て部分を忘れたり する事のないよう部分と全体を踏まえたとらえ方が必要です。 初めて知ったみんなで話し合っていたことを お手紙ありがとう。 あなたたちの間で…
ある聴覚障害者との書簡(1993年) 寄稿 ひとりの聴覚障害者=聴覚障害者すべて あなたは聴覚障害者であるけれどあなたの様子は聴覚障害者のすべてではないのです。 ある一人=あなた=一人の聴覚障害者でも、聴覚障害者=あなたではないのです。 社会的に聴…
ある聴覚障害者との書簡(1993年) 寄稿 あなたが離れてからの雪が舞散るか、と思えば陽がさしそこら中を眩しくさせてくれるという急変の天候の日々がつづいています。 お元気ですか。 青春を謳歌しているあなたの声が届いてきそうに思えますが。 さて、あな…