手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

哀しみと損失は膨大であったが希望は燃えさかって 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑫

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 困りはてたろうあ協会は、これらの問題を引き受けてくれる弁護士を尋ね、弁護を引き受けてくれた著名な能勢克男弁護士に弁護…

京都府ろうあ協会はろうあ者の手によるろうあ者のための事業をはじめたが 京都ろうあセンター はなぜつくられたのか⑪

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 1955(昭和30)年、私立京都聾口話学園管理者たちは、第二教室と呼ばれていた建物付属施設一切を京都府ろうあ協会会長の明石…

第二教室の悲劇を繰り返してはならない 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑩

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 京都ろうあセンターを考える時、現在の京都聴覚言語センターなどを基にして考える人が多いが、それは結果を見て過程を十分吟…

制定された身体障害者福祉法に京都のろうあ協会基本問題を指摘 京都ろうあセンター はなぜつくられたのか ⑨

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 京都のろうあ協会原基本問題を指摘 制定された身体障害者福祉法にたいして 制定された身体障害者福祉法にたいして京都のろう…

貧困にあえぐ中でもあえてなけなしのお金を   京都ろうあセンター はなぜつくられたのか ⑧

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介 1968年から京都ろうあセンター設立がすすめられたが、そのほとんどはろうあ協会とその協力者の寄付でまかなわれていた。 貧困…

立命館大学生存学研究センター の根拠なき京都市設立する誤り 京都ろうあセンター はなぜつくられたのか ⑦

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 立命館大学生存学研究センターは、ネット上でいくつかの文章を公表している。だが、以下の文章は調査・研究として公表するだ…

ろうあ者の読み書き出来るようになりたいと「筆談教室」 京都ろうあセンター はなぜつくられたのか ⑥

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者の多くの人々が 「読み書き出来る」 ようになりたいとねがっていた 「あの人はかしこいろうあ者」と言うろうあ者の…

手話通訳が違う手話をしたんだろう 本人がうなづいているのに 京都ろうあセンター はなぜつくられたのか ⑤

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者の人が、「うなずく」ことは、「理解した」「了解」「解った」ということでないという教えは、その通りだった。 だ…

手話で伝えること出来なければなければ「身振り」「しぐさ」やジェスチャーなどあらゆる方法で 京都ろうあセンター はなぜつくられたのか ④

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 学ぶことで助け合うことは 全く知らない人々に 受験戦争とも言われた時代。一人でも多くの人を蹴落とし自分が這い上がる、這…

京都ろうあセンター はなぜつくられたのか③ すべての道はろうあ協会の「つどい」に

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろうあ者も「つどう」。 ここにろうあ者の生活や要求や運動などあらゆる源泉があると知りつつあった。 今では考えられない苦…

京都ろうあセンター はなぜつくられたのか② 毎日が意見の相違と対立の連続

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 1980年代になって全国各地をめぐる中で京都のろうあ者の方々は、他府県といくつかの点で少なくない違いがあることが解ってき…

京都ろうあセンター はなぜつくられたのか

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 社団法人京都ろうあ協会(当時)の事業として京都ろうあセンターが発足したのは、1969年10月、京都府立盲学校の講堂で設立さ…

ろう学校教師に不信を持ちながらも なぜろう学校の教師であることに誇りをと言うのか

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 最近のはやりことばで、ろう学校はろうあ者のアイデンティティー【identity】と簡単に言い切る人が少なくない。 しかし、こ…

ろう学校で学んでも普通校で学んでもみんな同じ仲間

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ろう学校は ひとつの学校がつぶされることは すべてつぶされるということ この京都府立聾学校舞鶴分校の存続及び発展につい…

聾学校・盲学校 の名称 支援学校 などと名称反対 変更する必要はない

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 社団法人京都府聴覚障害者協会と両丹聴覚障害者協会(注この頃、ろうあ協会の名称が変更されていた。)は連名で2010(平…

地元議員が血の叫び 舞鶴盲聾分校廃止・統合反対

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ( 資料 舞鶴聾学校の中学部廃止が京都府議会本会議でどのように問題にされたか1981(昭和56)年 12月 舞鶴地方府会…

北部の盲聾関係児童の唯一の教育施設として府民の愛顧を受け育ってきた

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 ( 資料 舞鶴聾学校の中学部廃止が京都府議会本会議でどのように問題にされたか1981(昭和56)年 12月 舞鶴地方府会…

障害児と聞こえる子供たちがたがいに学び合い共に高まり生きてゆく基礎は教育にあり 学校にある

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 大矢さんは、失聴してろう学校に入学した鋭敏な感覚で、学び、これらの教育問題を簡素に述べていた。 人数が少ないからとか…

「つんぼがうつる」どさわいでいた子供たちが 舞鶴盲聾分校が高野小学校との共同教育のなかで

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 学ぶ目的、生きる目的、その道すじ。 これを小学校・中学校と9年間を通してできなかったこの大切なことを、私はろう学校高…

何一つ人間的な叫びをあげられない自分の姿  聞こえる高校生と交流して

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 私にとって、何よりもやりきれなかったのは、そんな奴隷みたいな姿に何一つ抗議できず、逃げるしかなかった自分の姿そのもの…

耳がおかしいと思ってから 生きていることすら苦痛に

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 さて、私(注 大矢さん 当時京都府ろうあ協会役員)が生まれ育ったのは、牛がのろのろとうんこをしながら、その後に追いつい…

4年もの歳月を盲ろう分校作りにかけずりまわったろうあ協会先輩の深層

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 4年もの歳月を分校作りにかけずりまわった先輩の心の底には、 「ろうあ者も人間だ。勉強しなければならないのだ。そして、…

聞こえる人 と共に暮らしてゆける地域にしなければ と崇高な願いを籠めて

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 「京都北部にろう学校を」と遠く離れた一軒一軒の門口に立って署名用紙を見せる間もなく聞こえないとわかっただ塩をふりかけ…

せめてろう学校の義務教育は地元でとのねがいを打ち切る非情

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 「事実を知りたい、真実を知りたい、人間として。ろうあ、という障害があっても、みんなの力の中で育ち合ってゆくためには、…

事実を知りたい 真実を知りたい 人間として

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 戦後の京都ろうあ者には新しい運動が芽生えた。 やむなく中途退学 復学することもできない 京都北部のろうあ協会の役員は、 …

優先すべきは盲・ろう教育の機会 みえる建物よりも

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 みえる建物より まず優先すべきは教育機会 与謝の海養護学校と京都府立ろう学校舞鶴分校・京都府立盲学校舞鶴分校の三校とも…