Ⓒ豆塚猛
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開 個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。
質問
大原省三さんの想いが深く読めば切々と伝わる手話原論の手紙とはなされましたが、大原省三さんの「手話原論」が手紙に書かれていたのですか。
元手話通訳問題研究編集長
いいえ、原論が文で書かれているというのではなく、「原論を暗示」させるものでした。
コミュニケーションとしての
手話が成立することを解明しよう
質問
「原論を暗示」させるもの、とはなされるとますます分らなくなるのですが。
元手話通訳問題研究編集長
大原さんは手話の源流などを出版されたり、されていましたが、コミュニケーションとしての手話の原理を解くことによって手話がコミュニケーションとして成立する根拠とその根拠を創造してきた数え切れないほどの多くの聞えない人々の「知恵」を受けとめ継承しておこう、おくべきだ、と言う意味ではないかと受けとめています。
だからよく色紙に、「すべての道は手話に通じる」(全ての道はローマに通ずの意味をとり入れて)表現されていました。
すべてが手話でないといけないという意味ではなく
すべての道は手話に通ず
それは、すべてが手話である、という意味ではなく、目的が同じならば出発点や手段が違っていても同じ場所にたどりつく。
ひとつの真理はあらゆることに適用できる、などなどを包括した意味で使われたと思います。
質問
出発点や手段が違っていても同じ場所にたどりつく、と言うことですか。
手話を学ぶ方法や教えられ方がちがっても
元手話通訳問題研究編集長
そうです。
こけし、のことでもはなしましたが、各地の特色を知り、ちがいは無数にあっても「こけし」という「ひとつのまとまり」(真理)にたどり着き、その「ひとつのまとまり」(真理)からあらゆるものが「あてはまってくる」という意味深い提起でした。
戦前のろう学校の教科書には手話の源流があると
こけしの次に大原省三さんが見せてくれたのは、戦前の教科書、特にろう学校で使われていた教科書を膨大に集められていました。
特に、修身、の教科書から多くの手話が生まれているとして、これも、これも、これもとパージを繰りながら教えていただいた。
質問
ぺーじを繰る、とはページをめくることではないのですか。
元手話通訳問題研究編集長
ぺーじを繰る、とはページをめくる、表現や意味や語源はちがうが、同じ動き、ここにも真理があると言うことです。
質問
真理とは、わからないです‥‥‥