
Ⓒ豆塚猛
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開 個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。
質問
そうなんですか。
元手話通訳問題研究編集長
あなたや数え切れない人びと。今や数十万人、百万を超える人々が手にしている「私たちの手話」の表紙を書かれた人なんです。
質問
そうとは全然知りませんでした。
「私たちの手話」の表紙を描いた大原省三さんの意図とは
元手話通訳問題研究編集長
私たちの手話(1)が財団法人全日本聾唖連盟から1969(昭和44)年10月25日に発行されたときは、衝撃でした。
私たちの手話(1)のイラストは、???と思うところがおくありましたし、当時は主として大阪の手話が中心的にとり入れられていたのでいろいろな意見や感想が飛び交いました。
ただ、財団法人全日本聾唖連盟が、{私たちの手話}を出版したことについては、多くの人が喜びました。
私は、なぜ、表紙が埴輪の絵なのかと思い、裏表紙をめくると大原省三さんが次のように書かれていました。
埴輪には
われわれの手話と何か共通したものがあり
言葉以上の表情がある
大原省三
埴輪(はにわ)の作者は恐らく彫人ではなくこうした土器の単なる工人に過ぎなかったものと思う。
それだけに表現は単純であるが、その表情・しぐさは何かを語っている。
この素朴な姿は、われわれの手話と何か共通したものがあり、言葉以上の表情があるようである。
と書かれていました。
たしかに数多く埴輪を見てきた私としても
「表現は単純であるが」
「その表情・しぐさは何かを語っている。」
「この素朴な姿は、われわれの手話と何か共通したものが あり」
「言葉以上の表情があるようである。」
の文に魅せられた。
手話の本質を突き上げる文だった。
だから「矢切の渡し」の千葉側にある大原省三さんの家を訪ねた時は、万感胸に迫る思いがありました。
描くときの鋭い眼光に秘められたやさしさ
質問
でも
「伝統に生きる」は、大原さんの描く姿と表情からはじまっていますね。
元手話通訳問題研究編集長
そうなんです。
大原さんは、先ず私のアトリエからと言って「アトリエ」に招かれて描く姿を見せていただいたからです。
描くときの鋭い眼光を豆塚猛さんが、シャッターを切り続けた。
手話研究誌作成では、何度も校正したが、絵を描かれる眼力と手話について話される違いに驚きを隠せませんでした。
ことば以上の表情がある‥‥‥