手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

手話 人間味溢れたコミュニケーション

                                                                                                               Ⓒ豆塚猛
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

Interview
 井波に行ったことと、欄間、手話通訳研究とどう結びつくんですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
 伝統産業、細かく洗練された仕事、などから考えて当時富山県の責任者だったYMさんに連絡して聞いてみた。
 彼は誠意をたっぷり含んだ人だったので期待していた。

 

 しばらくして、親方も含めて細部に渉る段取りをすました、との返事。

 大変うれしかった。また手話通訳問題研究に対する彼のアドバイスも鋭かった。

 

  「間(ま)」がとても大切な手話や手話通訳

 

 YMさんの案内でカメラマンの豆塚氏とともに井波を再訪した。通りに面して欄間を彫る人びとがなぜか少なくなっているようだった。
 でも、出会ったとたんうち解けて、欄間掘りの真髄を知ろうと夢中になった。

 手話や手話通訳は、「間(ま)」がとても大切だと思う。

 手話によるコミュニケーションは、絶対的形式化、絶対的定式化、されたものではなく、とてもフレキシブルー柔軟性のあるものとして捉えることがとても大切だ、と想いながら手話通訳問題研究誌を作成した。

 

 今もその精神は揺るがない。

 

人間味溢れたコミュニケーションを知って

 

 親方の教えと弟子、仲間同士、手話サークル、親子とのコミュニケーション。
 



 何度も見て、そこにある人間味溢れたコミュニケーションを知ってほしい、と思った。

 

 みなさんが、多様な理解をしていただけるために。

 

 手話のよるコミュニケーションは、絶対的形式化、絶対的定式化、するにではなくフレキシブルー柔軟性のあるものとして捉えることで人間味溢れたコミュニケーション底流が理解出来るのでは。

 

 私なりの「人間味溢れたコミュニケーション底流」の論理は、この頃より深まった。