手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

ゆずれない 手話通訳研究 温かい協力と伝統を伝え残すために

                                                                                         Ⓒ豆塚猛
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

  リズムの「かなめ」はジャンガラ

 

元手話通訳問題研究編集長
 小倉祇園太鼓は、の太鼓の面打ち、甲(かん)濁(どろ)が両面から打ち、ジャンガラが太鼓の調律をリードする。

 

 山車の前後に太鼓は一つずつ取り付けられ6名が息を合わせて打つ。三役のうちで最も派手なのが甲、濁。

 

 しかしリズムの「かなめ」はジャンガラ。

 

 ろうあ協会の青年たちを見事に指導した方は、
「ジャンガラはリーダーの仕事」
と強調。

 

 チームワークは太鼓の打ち手だけではなく、この山車を引っ張る子どもたち、その父兄たちの協力、ろう学校の先生・父母・手話サークル新虹の会の仲間たちと200人以上の協力で成立するのでもありました。

 

  ろう学校の子どもたちにとって
 青年はあこがれの的

 

 ろう学校の子どもたちにとって青年はあこがれの的で、次からつぎへと子供たちがバチを持ち指導を乞う。

 

 このようすは、社会の中の困難をどのようにして協力し合って生き抜くのかという教えが詰め込まれていたように思う。

 

  日々の生活を基礎の積み上げの結果でもあると「暗示」

 

質問
 それで最後の写真は、小倉祇園太鼓の写真でないように思えますが。

 

元手話通訳問題研究編集長
 そうです。

 

 小倉祇園祭りが終わった後。
 メンバーの一人の歯科技工の職場で明るい笑顔で働く様子を撮らせてもらったものです。

 

 小倉祇園太鼓の魅力は、日々の生活を基礎の積み上げの結果でもあると「暗示」するもので、写真の組合せを考えました。

 

 この頃から、カメラマンの豆塚氏と写真の組合せをめぐる問題や現像の仕上がりなどなどさまざまな意見交流や時には対決がはじまりました。

 

質問
 写真を載せるのにそれほど話し合い、相談されたのですか。

 

  手話通訳問題研究誌に掲載される視点をめぐる論議

 

元手話通訳問題研究編集長
 すぐ一致する写真もありましたが、そうでないものも多くありました。

 

 写真を選ぶ「視点」の問題です。

 

質問
 写真を選ぶ「視点」の問題とは。

 

元手話通訳問題研究編集長
 豆塚氏としては、写真の「これ」と言うが私は「これ」と言う。

 

 写真の撮影の出来よりも私は、聞えない人びとのコミュニケーションを表現する写真を重視しました。

 

質問
 同行されたのだから一致したのでは。

 一致しなかったら両方を掲載しても良かったのでは。

 

元手話通訳問題研究編集長
  写真の数を増やすことは印刷費の関係で財政的に無理がありました。

 先に言っておきますが、この小倉祇園太鼓の印刷について大きな疑問を持ち始めてていました。

 

 当時、手話通訳研究誌に掲載した豆塚氏の写真は、焼き付け、引き延ばしなどなどすべて手作業でとても時間のかかるものでした。


 彼がつくりあげた元の写真と印刷された写真に大きな「差違」を感じて印刷方法を直接調べてみました。

 

 版下、印刷方法などなど。
 

ここで、印刷会社がていねいに原画を極力再現する努力を怠っていることが解りました。

 

 かなり激しい言い合いもしましたが。

 

 みなさんの温かい協力と伝統を伝え、残すために譲れないことでした。

 

 みなさんには、手話通訳問題研究誌が同じように観えるかもしてませんが、毎号、手話通訳研究誌は同じ流れ、同じ作り方をしていません。