手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

聴覚障害者が仲間うちだけで学んでいるよりは広く障害者と交流し学び合うことはとても大切と京都府教育委員会指導主事

                                                                                                   Ⓒ豆塚猛
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

聴覚障害の高校生に
全国障害者問題研究会に参加しないかと尋ねた

 

元手話通訳問題研究編集長


  全国障害者問題研究会金沢集会であった。

 

 聴覚障害の高校生に参加しないか、と尋ねた。

 すると十数人が参加したい、と言い、もちろん他の高校生からのも参加したい、と言ってきた。


 旅費は障害者割引でいけるが、宿泊となると、と躊躇した。


 生徒たちは、参加するためのカンパを集めてきた。

 が、足らない、と悩んでいたときのことだった。
 
京都府教育委員会指導主事
 私の実家の井波のお寺の本堂に泊まったら

 

 当時、京都府教育委員会の指導主事をしていたFI先生が、「私の実家が富山県の井波のお寺。その本堂に泊まったら」と助言をしてくれた。

 

 井波?初めて聞く名前だった。

 

質問
 教育委員会の指導主事がそのようなことを言われたとは。

 

聴覚障害者だけとか仲間内だけで学んでいるよりは
  広く障害者と交流し学び合うことはとても大切

 

元手話通訳問題研究編集長
 指導主事をしていたFI先生は、ろう学校中等部の先生をしていて聴覚障害教育も熱心だった。

 

 「聴覚障害者が、聴覚障害者だけとか仲間内だけで学んでいるよりは、広く障害者と交流し学び合うことはとても大切。」

と言った。

 

 FI先生は、日本で初めて公的機関が認め証明書を出した京都市手話通訳認定7人のうちのひとりだった。

 

 7人の内、4人がろう学校の先生だった。

 

  本堂までの坂道を上り下り
その道沿いに早朝・夕暮れどきも井波の欄間を彫る人びと

 

 生徒たちに聞いてみると、みんな大賛成。お寺の本堂で寝ることが出来ると喜ぶ生徒もいた。

 

 そして、金沢へ。

 

 集会が終わると、列車を乗り換えて井波へ。

 

 駅から本堂までの坂道を上り下りしたが、その道沿いに早朝、夕暮れどきも井波の欄間を彫る人びとが沢山いた。

 

 陽の光を受けて一心不乱に木を彫る姿があった。