
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開 個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。
Questioner
手話を学ぶといってもかなり難しく、簡単なことでない、と言われるのでしょうか。
人間のコミュニケーションの基礎に立ち向かって
手話通訳研究を進める
元手話通訳問題研究編集長
手話通訳問題研究というのは、今まで話してきたことを掘り下げて深めて広げて人間のコミュニケーションの基礎に立ち向かっていく研究を進めることだと思っています。
それが当時の私たちの手話研究の課題であったと今も思っています。
だが、それはとても手間のかかることであり「メンドウ」と思われて、多くの人々がそれを避けがちでした。
「手間のかかることと」「メンドウ」ことの中に
人間の素晴らしさを知ることができる
私は逆に「手間のかかることと」「メンドウ」ことの中に逆に人間の素晴らしさを知ることができるし、コミュニケーションっていうのは無限にあるものだと知ることが出来ると思っています。
手話。
そこには人間の知恵と創造の歴史があるということを忘れてほしくないんです、いや忘れてはならないと思っています。
ろう学校にも行けなかった
未就学の人びとのコミュニケーションの参画
Questioner
そのこととろう学校にも行けなかった、未就学の人びとのコミュニケーションの参画を見る必要があると言われるのですか。
人間として生きていく上で
必要な広い世界や知識や知恵や生き方が奪われていた
元手話通訳問題研究編集長
学校に行けなかった、読み書きができない、多くの人と話し合うことを充分知ることができなかった未就学の人々にとって、「コミュニケーション手段が極めて限られた状況にあった」。
人間として生きていく上で必要な広い世界や知識や知恵や生き方そのものをより深く知る機会がなかった、奪われていたといってもいいと思いますが。
それを切り裂いていく動きが長崎の福江島の未就学のろうあ者の人々のへの取り組みでもあったと思っていいのでは。
残念ながら私は手話通訳問題研究誌の編集長として自分の意見や研究していたこと、学んだことを掲載する機会を持つことはできません。
そのため今この場で話をさせていただくと、未就学のろうあ者の人々にとっては生きていく生活する、暮らしをするためのコミュニケーション手段は「極めて限られていた」わけです。
聞える人びとと共同の暮らしの中で
その地域のだけで通じる
例えば農業する時に、種を植える、育てていく、そして収穫するまでの過程の繰り返しの生活は、ある意味身振り手振りなどで他のがやっていることを知って、自分もそれを取り入れていくっていうことで暮らしを建てていた。
そういう意味では、聞える人びとと共同の暮らしの中にいた。
だからコミュニケーションっていうのはその地域のだけで通じる、その人たちしか、また周りの人しか知らない範囲のコミュニケーションで暮らしていたわけです。
これは何も聞こえない人だけということではないと思います。
読み書きができることが必須然となり車の免許の試験に
合格しなければならないという絶望が突きつけられ
日本の各地域での生活を調べてみると一つの集落や限られた地域の人々が暮らす小さな単位の中では、その人たちだけで通じあうコミュニケーション。
ことばや身振り手振り、それを簡素化したり、凝縮したことばで生活したことは、数え切れないほど見受けられました。
あれこれそれ、食べる寝る、など基本的な暮らしの単位が聞こえる人の社会の中でも成立していたわけで、未就学のろうあ者の人々にとってもそういう「小さな単位」の中で共同で暮らしていた。
その表現で暮らし、生きていたわけです。
が、そこに読み書きができることが必須然となり車の免許の試験に合格しなければならないという絶壁が突きつけられてきた。
共同、平等ということが貧しいながらも自然に根付いて
よく障害者の人や聞くことの出ない人々は「座敷牢に閉じ込められた」と言う人々がいます。
でも私が未就学のろうあ者の人々や多くの障害者の人々の生活を見てきた中で、「座敷牢をつくられるほど裕福な家」に出会ったことはありませんでした。
座敷牢に閉じ込められてきたということを安易に言う人々は、座敷牢を作るだけの家のスペースがあったということを前提にして考えているのではないでしょうか。
一間や二間、屋根さえも十分ないあるところ、家ともいえないだろうという環境の中で逆行に抗して共同しながら生活をしてきた。
そういう暮らしが成り立っていた。
そこには共同、平等ということが貧しいながらも自然に根付いていた。
ところが、社会的な関係の中でそういう人々が学び読み書きができ、そして試験を受けるという極めて絶望的な難問が投げかけられてきたのです。
小さな単位の生活から
ひろい世界の中に飛び込んでいく大変革
このとは小さな単位の生活からひろい世界の中に飛び込んでいくような、大変革でもあったわけです。
長崎 福江島の手話通訳者や手話サークルの人びとは、そこに住んでいたろうあ者の人々とともに「共同して絶望的な壁」を這い上って行ったのか。
当時、充分時間をかけて聞き取るだけの時間と費用はなかったために後日いろいろと考えてみました。
これは長崎の例だけではなくて多くの未就学のろうあ者の人々と出会い話してきたそういうこととも関係をしているので一応一つの提起だけしておきたいと思います。