(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
ひたひたと押し寄せる
戦争の雰囲気を感じつつ
15歳。
もっと学校に行きたかった、友だちと居たかった、と学校への切なるねがいは社会の現実が切り裂いてしまった。
そのねがいをどこまでも大切にして、学ぶ機会を保障して欲しい、という木戸さんからのメッセージが読みとれる。
15歳から21歳までの木戸さんの弟子生活。
師匠宅は、川一つ隔てたほんの近くだったのに、家と師匠宅で木戸さんの青年時代は終了する。
日本は大正時代から昭和の時代に切り替わり、ひたひたと押し寄せる戦争の雰囲気を感じつつ木戸さんは独立し、結婚する。
好きな相手と結婚できなかったが、弟子と結婚した、と証言する木戸さの表情が何となく読めてくるから不思議だ。
それから20年間。
木戸さんは家族とともに一生和裁で生活をしようと仕事を続けた。
あの時代。
誰しもが手に職を持っていれば、一生、生きていけるのだと考えた。
ましてや、腕のある職人なら、食いっぱぐれはない、と思われただろうし、そう思っても間違いがない社会だった。
木戸さん40歳過ぎ。
和裁の注文が入らなくなる。
運命は木戸さんを救う
日本は、戦争に突入していた。
今までの仕事、人生、家族、人々などあらゆる物が軍事色で塗りつぶされ、その色は、木戸さんの上にも例外なく降り注いできていた。
原爆投下された日。
運命は木戸さんを救う。
妻と子どもの疎開先に急きょ赴いた木戸さんは、長崎市内に黒から赤に、赤から黄色にそして赤になる原爆雲をみる。
原爆投下された方向を微細に記憶していた。
あまりにも大きな衝撃と比例していたのだろう。
30秒にすぎない一瞬の出来事をスローモーションの手話で表現される。
0.1秒が途方もなく長い時間のようにとらえられ、それが自分と多くの人々を苦しめることになる。