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手話と手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

あの世まで婚姻届を持っていってしまった親の気持ち

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特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて

 

 榎園和子さんは、67歳の時に被爆体験を証言してくれています。

 

  仄に見える

 

 生まれてすぐに聞こえなくなり、弱視に。左目を頼りに生きてこられたことを率直に語ってくれた。

 

 8歳の時にろう学校に入学。

 

 中学部では和裁を学習。

 

 9人の友人を中心にろう学校に通っていた楽しい時代のことが語られています。

 

 榎園さん、39歳の時にろう学校中学部を卒業。

 

 両親にかわいがられ育つが、戦争のため佐賀県疎開

 

  長崎に落ちていく   強烈な赤い光

 

 運命のあの日の8月9日。

 

 いつものように恋しい両親のいる長崎方面を見ていた。

 

 強烈な光、赤く光ったものが上空から長崎に落ちていく46年前の光景は、今もありありと記憶している。

 

 ただならぬ事態ばかりか、恐ろしい事態が長崎の街に起きている、それは榎園さんに、はっきりとわかるぐらいのことだった。

 

 戻った長崎の街。

 

 異様な光景。

 

 自宅は残っていた。

 

 お父さんは、原爆の悪い空気を吸ったようだ、と話して2年後に亡くなっていく。

 

 哀しみの涙が乾かないうちに、お母さんも原爆病院に入院。一週間でなくなる。

 

 榎園さんをどこまでも守り続けた二人の両親が亡くなったことは、流れる涙以上の哀しみであったことは間違いない。

 

 お互い一目惚れ 結婚したのに同姓でない

 

 お父さんやお母さんが亡くなるまでの2年間の間に榎園さんにとっては、その後の運命を決める重大なことが生まれてくる。

 

 西岡さんとの結婚。

 

 お互い一目惚れ。

 

 長崎に原爆が投下されて1年後の22歳で榎園さんは結婚。

 

 証言はここにきて、初めて榎園さんが西岡さんと結婚したのに同姓でないことを明らかに。

 

     あの世まで婚姻届を

   持っていってしまった両親

 

 一目惚れ、愛し合う二人。

 

 結婚。

 

 被爆直後の長崎で二人が生きていくのにこれほど力強いことはなかった。

 

 榎園さんのお父さんやお母さんはきっと心からの祝福を送ったに違いない。

 

 だが、お父さんやお母さんには限りない不安を抱いていたこともまた間違いがない事実。

 

入籍。結婚したという証が、榎園さんには残っていない。

 

 いつ彼女が、その事実を知ったのか証言の中では明らかにされていない。

 

 入籍手続きが、お母さんによってなぜされなかったのか一定の想像の域。


 障害者同士。

 

 榎園さんはさらに目が不自由であった。

 

 いつ離婚させられるかもしれないと、考えあぐねた末、両親はあの世まで婚姻届を持っていってしまったようである。