手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

絶望と破壊と恐怖の嵐の手話

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   (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて 

 

      恐怖の嵐の手話

 

 ろう学校中学校を終えた坂口さんは、住み込みで洋裁店で働く。

 

 足の不自由な仲間とともに寝起きしながら助け合い数年かかるところ五ヶ月で職人になったという。

 

 まさに師匠の仕事を盗み見するという「離れ業の天才」である。

 

 島原の洋服店に変わった坂口さんは主人の出兵で、店を任される。


 運命の8月9日。

 

 坂口さんは汽車に乗って島原から長崎に向かう。

 

 実家で朝食を済ませ10時過ぎに県庁方面に向かおうとする、が、急に先輩に会いたくなり行き先を変える。  

 

 目の前が真っ白。四つんばいになる眼前は白から黄色へと移る。

 

 空壕で赤ん坊を抱いて飛び込んできたろう学校の先輩と出会う。

 

 絶望と破壊と恐怖の嵐の手話。

 

     それまでのすべてを

    無塵の炎に引きずり込んだ

 

 キノコ雲と人々が呼ぶようになった雲を見上げ、ドン山から見た浦上方面。

 

 ただならぬ「空襲」であったことは歴然としていた。

 

 実家も近所も、家族も無事。

 

 でも、坂口さんもまた、ろう学校が心配になり浦上に向かう。

 

 翌日。

 

    がれきの中で

破壊された学び舎を凝視して佇む

 

 日ノ出町から山づたいにろう学校に向かった坂口さん。

 

 被爆直後の山肌をただひたすら浦上方面に向けて足を運ぶ。

 

 やっとたどり着いたろう学校は、ガラスが飛び、壁が落ち、思い出でいっぱいだった教室は跡形もなかった。

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 がれきの中で凝視して佇む坂口さんに去来した心を私たちはしっかりと受け止めていかねばならない。

 

 ろう学校の生徒が誇りに思ったあの校舎。

 

 すべての想い出も奪い取った惨状。

 

 周りの焼け野が原に見える崩れかけた浦上天主堂

 

 川まで飛んだ聖堂の屋根にあった十字架。

 

 あれほどろうあ者の心を支え、想い出の結晶であったろう学校の建物が破壊され。

 

 ろうあ者のそれまですべてを無塵の炎に引きずり込んだということだった。

 

     思いと消せない平和への願い

 

 そのろう学校跡に、坂口さんたちの思いと消せない平和への願いが、何ら残されていないことは、重ね重ね残念である。

 

 被爆直後の長崎で、家族とともに身の危険も顧みずろう学校の存在を案じたろうあ者の人々の想いは、今後、世に伝わっているのだろうか。