手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
右手の平に拳の親指を立てる。
これでお客さんになる。
しかし、それを持ち上げることでそのお客が大切かどうか、を表現するし、また顔の表情でそのお客の大切さ、を示すのである。
表情の組合せでどのような客か解る
手の平にのせる「仕種」は、同じであっても表情の組合せでどのような客か解るのである。
昨日、お客さんが来てということが同じ手話であっても、心から歓迎する人か、大切な人か、いやな人か、ただの客かが瞬時に解るのである。
必ずしもそうとは限らないが、京都の客の「もてなし」「扱い」を踏襲しているとも言える。
写真の場合は、まあまあのお客さん、と手のひらを少しあげているところから見てとれる。
同一の手話であっても
表情や動きで
気持ち・感情が織り籠められる
手話では、同一の手話であっても表情や動きで、気持ち・感情が織り籠められている。
手話通訳が、見てとることの難しさもここにもある。
お姫さんは、手のひらに小指を乗せないで、手のひらを手首において表現している。
これは、上に立つ、身分の高いなどの意味合いでそのように表現しているのである。これが、親指であるとお殿様になる。
写真では、優しいお姫さん、上品なお姫さんと逝いたそうな表情である。
これが、意地悪なお姫さんと表現する場合は、顔を「顰め」るのである。
お殿様は、お姫様より上で、ちょんまげを同時に表現していた。
戦後、映画の時代劇には多くの歌舞伎者が出演した。その時の歌舞伎役者の表情の「艶やかさ」などをまねて、ろうあ者同士で話もすることも多かったし、昔話を競い合って手話で「演じた」ことも数知れなかったと明石欣造さんが語っていた。
「ふきでもの。はれもの。おでき」などは、その「できものの程度」でさまざまであるが、この場合は、丸く膨れあがった「できもの」を現している。
アベックという言葉は、使われない時代となっているが、以降も紹介したい。
アベックとは、「恋人同士の二人づれ」ということであり、男女が歩く様子を緩やかな手の上下運動で表現している。
これらの恋にまつわる手話は、現代では信じられないほど多くある。
両手で人差し指と中指で歩く様を表現しながら、近づいたり、離れたり、また近づいた利を繰り返し、この「アベック」の手話になるなど多彩な手話が繰り返された。