communion of mind with mind
※この文は、手話と手話通訳について、実体験を書き、月日の流れと共に考えた法則的なつながりを述べている。
山本正さんが笑顔で頷いた姿を「手話を覚えはじめる第一歩」と述べた。山本正さんは、手話をしていない、のに、なぜ、手話を覚えはじめる第一歩なのか、と友人に言われたが、その時、手話を手指の動きだけと捉えているとも思った。
机を並び替えて平行に置かれていた机を長方形に並べていとみんなの顔が見える。司会者の手話を見ていても他の人の動きが解る。
180度の視界。
そこに山本正さんが笑顔で頷いた姿が飛び込んできた。
山本正さん以外のひとは話に参加していても絶えず山本正さんを注視していた。
だから山本正さんの表情に一斉に注目した。
山本正さんは、みんなが自分をみてくれていることに気がついたのだろか、また笑顔になった。するとみんなも笑顔で山本正さんを見た。拍をする人もいた。
笑顔の交換が続いた。
それからの山本正さんは、みんなの手話を見詰め続け、頷いたり、笑ったりしながら、見た手話を自分なりに繰り返して表現するようになった。
するとみんなは笑顔になり、拍手した。山本正さんも拍手した。拍手の渦が湧いた。
truth
笑顔で頷くことへの多くの人の笑顔の返事。見詰め続けながら、頷いたり、笑ったりしながら自分なりの手話。みんなの表情が反映しながら表情で「会話」する。
その「表情の会話」に手話が加わる。手話の基礎に流れる人びとの「感情表現」とその交流。
手話の発生は、ひとつのことから産まれたのではない、たくさんの人間同士の交流から産まれた、と暗示させられるが。