手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
「1954年手話冊子」第2章(2)-6 手話の成立 Ⅱ
表情や、身振りが多くなるのは
確かめ合いながら話合うから
手話を用いて話合う時は、勢い表情や、身振りが多くなってくる。
それは、伝達の具体化と内容を確かめ合いながら話合うからである。
例えば「明日、協会から、明石へ海水浴をする」
ということを言うのに「手話」では、
「明日、協会の希望者、みんな集まって、明石、知ってるか、大阪ー神戸、その次のきれいな場所、海水浴場、去年もいたところ(へ)行く」
といったような表現をとる。(もつともこれは知的水準の高くないろうあ者を相手にした場合であるが)
又名前その他、「手話」語彙にない言葉は空間に文字を書く、そして、この文字を読めるには、視覚的な相当の訓練を経なければ容易ではない。
(文字の意味が解らない場合にはもっと具体的な説明を必要とするが、なお理解出来ない場合には論外であるーその人達は「手話」も充分使えないのだ。)
漢字が象形文字であるなら
手話も象形的表現表意的表現だ
それから「手話」では、よく組合せを用いる。
これは漢字の熟語にも似ていて、
軍艦を(戦争の船)
のような熟語的用法や、
民衆(男女、色いろいろたくさん)、
家庭(家、父、母、兄弟)
などのように具体的なものを複合して用いる。
今、手話が、漢字の仕方に似ていると書いたが、漢字が、象形文字であるなら、手話も象形的表現表意的表現だといってよく、このように、ひとうひとつの意味を組合わは、異なる組合せと言うよりも映画の、モンタージュに通じるものである。(エイゼンシタイン「モンタージュ理論)