手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

宇治市手話言語条例 切断された右腕が戻るための「あんじょうな」ではなく 黙らせるための「あんじょうな」

f:id:sakukorox:20180330113910j:plain

手話を知らない人も

                手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

田舎の田舎の中学校をでて
   なにも知らんからな

 

 青年の置かれている状況も考えて

 

「福祉でやれることがあれば、本人さんに連絡します。」

 

と言うと、

 

「会社の責任と思わないようにな」

 

 田舎の田舎の中学校をでて、うちの会社に入ったばかりやからからなにも知らんからな。」

 

労務担当者として露骨に言ってきた。

 

  青年がすべてを知っていたら、ただですまないことは、解っていても田舎から大企業に就職出来たありがたみを知っているからそんなことは絶対ないというような言い方。

 

 保険証書事件を何ら反省していないばかりか、妻も夫も障害者の「弱み」につけ込んで横行している。

 

事故で、休めてお金を貰えるなんて…

 

  市が誘致した大企業のことは「あんじょうせんと」という雰囲気の市の行政。役所も「つるんでいる」と思われても仕方がない言い方が横行した。

 

 なにが、「あんじょうな」なんや。

 

 切断された右腕が戻るための「あんじょうな」ではなく、黙らせるための「あんじょうな」。

 

 青年の気持ちを考えて労務担当を抜きに幾度となく話し合った。
 
 田舎から大企業への就職。

 

 みんなに励まされ、一生懸命働いてきた。

 

 会社と寮の往復。

 

 街に出たこともない。

 

 お金は仕送り。

 

 今度の事故で、休めてお金を貰えるなんて…。青年の話にことばを失った。

 

身体障害者のスポーツ大会
え 出られるんですか旅行も行けるんでか

 

  彼は、スポーツが好きで走ることは楽しかったという。

 

 そこで、身体障害者のスポーツ大会に出てみないか、と言うと、「え、出られるんですか。旅行も行けるんでか。」との返事。

 

 リクレーションもあることを言うと「ぜひ参加したい。」と言い出した。

 

 それから、大会要項、申し込みなどの手続きを一緒にしたが、生真面目な青年は早速練習を始めていた。

 

右腕が奪い去られたことを
   次第に実感して

 

  そして幾度も

 

「右腕がないと前のように走れない。」

 

「バランスがとれないで、まっすぐ走れない。」

 

と悩みを打ち分けてきた。

 

  右腕が奪い去られたことが、次第に実感して悩みが増えたようだった。

 

 

 

宇治市手話言語条例 未就学ろうあ者を騙した妻の夫の仕事の非情な労務管理とは

f:id:sakukorox:20180330104816j:plain

手話を知らない人も

      手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

ある日。

 

 未就学ろうあ者の保険証書を勝手に書き換えて、それまでの貯蓄を懐にしたが心底謝罪しなかった大企業の労務管理担当の夫が来た。

 

 身体障害者手帳の交付の申請だった。

 

 そして、交付されたら連絡がほしいということで帰った。本人の身体障害者手帳の交付ではなかった。

 

会社の責任になるので
気を紛らわすために女かなにか

 

 身体障害者の手帳が届くと、右腕を失った青年とともにやって来て、青年に聞こえないようなひそひそ声で言う。

 

「工場の機械に右腕が挟まれて、一瞬で右肩から切断した。会社の責任になるので、気を紛らわすために、女かなにか、ないか。」

 

「右手を失った気持ちが紛れるから、女を世話しようと思う。」

 

と。

 

  右腕が工場の機械に挟まれ切断された青年の絶望の気持ちを「慰める」ための担当が私の仕事だとも言い切る。

 

 会社の責任を逃れて、本人責任に返すための仕事。それが自分の労務担当の仕事だともい言う。

 

若くしてガッシリたくましい身体から
右腕付け根から引きちぎられた哀しみは

 

 青年は、なにも知らずに「よろしくお願いします。」と頭を下げていた。

 

  青年にはなんの罪もない。

 

 それどころか、若くしてガッシリたくましい身体から右腕付け根から引きちぎられた哀しみは、耐えようもないだろう。

 

  この大企業は、毎年労働災害で障害者になった人が多く、身体障害者手帳を交付した社員は多くいた。

 

  労働災害があるとこのようなことをするのが。
                                  
 未就学のろうあ者を騙した夫の仕事がこれか、と分かると労務管理のやり口で保険証書事件が起きたとき「裏から手を回していたと思えた。

 

 あの時、なぜ係長が一緒に行くようにい言ったのかぼんやり分かってきた。

 

 

宇治市手話言語条例 お国のために戦い傷ついたから他の障害者とは別だ

f:id:sakukorox:20180329111600j:plain

手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  宇治市身体障害者連合役員会議での混乱と障害者年金+軍人恩給の問題をめぐって会長は収まりがつかなくなるようにしてしまった。

 

  お国のために戦い傷ついたから

   別だとする軍人恩給手当

 

 障害者でも障害の「程度」によって障害年金支給額は異なってくる。

 

 でも、傷痍軍人は、お国のために戦い傷ついたから別だとする軍人恩給手当。

 

 軍人恩給には、軍人の階級によって同じ障害の程度でも支給額が極端に違う。上級士官となるととても高額になる。

 

障害者団体の中での
 驚きとため息と怒りの交差

 

 宇治市身体障害者連合で肢体協会のある役員が、「軍人恩給言っても戦争の時の階級で金額が違うのです。私らは、ほとんどありません。」と言い、会長のほうが上級士官だったから軍人恩給が高い、と言い出したことで役員会議は驚きとため息と怒りが交差した。

 

 盲人協会やろうあ協会からは、戦争が終わっても軍人の階級制度が廃止されるのではなく生きている。

 

 同じ障害を負いながら平等でないこと。

 

 身体障害者の役員に肢体協会から役員が出てくるのも旧軍人の序列となっていること。

 

 などが驚きとともに指摘され宇治市身体障害者連合会長はあわてだしたが、後の祭りであった。

 

行政が補助金
事業への補助という名目で団体に丸投げ

 

 結局、宇治市身体障害者連合会長は宇治市からの助成金を「三等分にする」と言い出して、この日の会議は終わった。

 

 後味の悪い会議になったと少なくない人は思ったようだった。

 

 この日から、障害者団体同士でもめることなく、行政が補助金を事業への補助という名目で団体に丸投げして事をすませ、障害者福祉を放置していることに目を向けていこうという動きになっていく。

 

宇治市手話言語条例
本市の責務及び市民等の役割を明らかにするとともに、本市が推進する施策の基本的事項を定めることにより、障害のある人もない人も相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現することを目的とする。

 

宇治市手話言語条例 俺らの責任で障害者になったと言うのか 一番危険な所にいた軍人のほうが恩給が少ない

f:id:sakukorox:20180326125432j:plain

手話を知らない人も

        手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 「おまえらは、自分で障害者になってなにを言う。私らは、お国のためにこのような身体になったんだぞ。」という宇治市身体障害者会長のことばは、火に油を注ぐようなことになった。

 

俺らの責任で障害者になったと言うのか

 

 盲人協会もろうあ協会も会長以上に激怒して

 

「俺らの責任で障害者になったと言うのか」

 

宇治市身体障害者会の役員会は終始が着かなくってしまった。

 

あんたらは障害者年金+軍人恩給を
    もらって仕事をしてない

 

 でも、この日のろうあ協会K会長は、

 

「お国のため、あんたらは障害者年金+軍人恩給をもらって仕事をしてないじゃないか。わたしらより、まだましな状況に置かれているではないか。」

 

とまた火に油を注ぎ出して、今にも暴力沙汰になりそうな状況になった。

 

同じ戦地に行って一番危険な所
      にいた軍人のほうが恩給が少ない

 

 この時ある役員が、

 

「軍人恩給言っても戦争の時の階級で金額が違うのです。私らは、ほとんどありません。」

 

と言い出した。

 

 会長のほうが上級士官だったから軍人恩給が高い、と言うことをさらけ出したのである。

 

 この話を聞いて、盲人協会もろうあ協会も驚いた様子で、

 

「同じ戦地に行って、一番危険な所にいた軍人のほうが恩給が少ないの」

 

「こんな馬鹿なことはない」

 

と怒りは別のほうに向かいはじめた。

 

 そして、日頃、威張る会長のほうが苦労をした他の役員より違っていたことへの同情がはじまった。

 

宇治市手話言語条例
(基本理念)
第2条手話への理解の促進及び手話の普及は、全ての市民に手話による意思疎通を図る権利が保障されることを前提とし、相互に人格と個性を尊重することを基本理念として行わなければならない。
(本市の責務)
第3条本市は、前条に規定する基本理念(以下「基本理念」という。)にのつとり、手話による意思疎通が円滑にできるよう、手話への理解の促進及び手話の普及のために必要な施策(以下「施策」という。)を実施するものとする。

 

宇治市手話言語条例  お国のためにこのような身体になった

f:id:sakukorox:20180326123603j:plain

手話を知らない人も

                  手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 身体障害者連合会の役員は、盲人協会一人、ろうあ協会一人、であとの役員は全員肢体協会から出ていた。

 

 身体障害者連合会会長の一声ですべてが決まるはずだった。

 

肢体協会はなんの事業もしていない
   学習会も会合も

 

 ところが、ろうあ協会K会長から

 

「肢体協会はなんの事業もしていないし、学習会も会合もほとんどしていない。のに、同じて言えるの。肢体障害者もそういうこと必要じゃないの。」

 

というと肢体協会会長(身体障害者連合会会長)は

 

「人数が多くてやってられない。」

 

と言い切る。

 

宇治市からの助成金
     三等分してこそ平等

 

「それなら、盲人協会やろうあ協会に助成金を回すべき。この際、3等分するのが平等では。」

 

とやり返した。

 

 すると、身体障害者連合会会長は、

 

「人数は肢体協会のほうが圧倒的に多いのになにが3等分だ!!」

 

と言う。

 

 この時はろうあ協会は、引き下がらなかった。

 

「肢体協会に入っている人は盲人協会やろうあ協会より少ない。
 たしかに、市内には、肢体障害の人は多いけれど肢体協会がなにもしてないから、協会に入らないのでは。」

 

とまで言い出した。

 

私らは
お国のためにこのような身体になった

 

 ここまで来ると会長は激怒して、

 

「おまえらは、自分で障害者になってなにを言う。私らは、お国のためにこのような身体になったんだぞ。」

 

と言い出した。


宇治市手話言語条例
(目的)
第1条この条例は、手話が言語であることに基づき、手話への理解の促進及び手話の普及に関し基本理念を定め、本市の責務及び市民等の役割を明らかにするとともに、本市が推進する施策の基本的事項を定めることにより、障害のある人もない人も相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現することを目的

とする。

(基本理念)
第2条手話への理解の促進及び手話の普及は、全ての市民に手話による意思疎通を図る権利が保障されることを前提とし、相互に人格と個性を尊重することを基本理念として行わなければならない。

 

 

 

宇治市手話言語条例 零細企業で働いていて四苦八苦して休ませてもらって宇治市身体障害者連合会の会議に出ているが

f:id:sakukorox:20180325165125j:plain

手話を知らない人も

                     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 Kさんが宇治市手話言語条例のコメントで ろう者同士で話すため自然に手話を覚えました、と言うのには数え切れないほどのろうあ者の哀しみと非人道的扱い、障害者間の対立と侮蔑の投げつけ合い、障害者問題を排他的に考えるのではなく一致点で連帯して考える行動などさまざまなことが織り込まれ人間連帯の模様が描き出されているようにも思える、と書いてきた。

 

  障害者間の対立と侮蔑の投げつけ合い、障害者問題を排他的に考えるのではなく一致点で連帯、ということでもKさんから多くのことを学んだ。

 

 障害者だから障害のことを充分知っている、障害者以外の人は障害者のことを理解していない、理解出来ない、という考えについてKさんはいつもその誤りを指摘し続けていた。

 

紛糾する身体障害者連合会の会議

 

 1960年代から1970年代にかけて宇治市身体障害者連合会は、肢体協会・盲協会・ろうあ協会の3団体で構成されていた。

 

 その中で身体障害者連合会の役員は、肢体協会が多数を占めていた。

 

 宇治市は、ことあるごとに身体障害者連合会を通じてのみ助成金や一定の寄付金を渡すのが常であった。

 

 だが、宇治市職員は身体障害者連合会の役員会議に呼ばれても参加することをとても嫌がっていた。

 

  いつも役員会議が紛糾するからである。

 

身体障害者連合会の

    役員会議とお互いの仕事

 

 身体障害者連合会の役員会議といっても人数は多くない。

 

  身体障害者連合会の役員会議はいつも平日の昼に行われていた。

 

 宇治市身体障害者連合会の役員会議の最初からその役員会議の日程で、もめた。

 

 盲人協会の役員は、鍼灸の仕事を休まなければならないこともあり、休む度に収入が減る。

 

 ろうあ協会の役員は、零細企業で働いていて四苦八苦して休ませてもらって役員会議に参加しなければならないからであった。

 

 盲人協会とろうあ協会は

            意見が一致していたが

 

 また、なぜこんな時間に役員会議をするのか、なんど言ったらわかるのか。

 

 最初から盲人協会やろうあ協会の役員から不満の意見が出された。

 

 しかし、肢体協会の役員は、多数。
 
 その代表も兼ねている宇治市身体障害者連合会会長は、

 

「みんなの都合を聞いたら、この時間しかない。」

 

と言いきり紛糾する。

 

 働いている障害者にとっては休んだだけ収入が減る。

 

いくら、みんなのためと言っても生活がかかっていた。

 

その点では、盲人協会とろうあ協会は意見が一致していた。

 

取り組みもしないで
  助成金をなぜ多く受け取るのか

 

 結局、いつものように、まあまあ、と言うことで助成金の話になったが、ある日のろうあ協会のK会長はいつもと違っていた。

 

 身体障害者連合会として行う行事は、助成金を使うことは異議がないが、残った費用の配分問題は反対だと強固に主張して譲らなかった。

 

 従来ならば、残った助成金は、肢体協会、盲人協会・ろうあ協会の順で配分され、ほとんどは肢体協会がその配分金を受け取っていた。

 

 ろうあ協会は、それにクレームをつけた。
 
 ろうあ協会としては各種学習会や教養講座や読み書き援助などの取り組みをしていてみんからお金を出してやっているが、みんなは貧しい、これ以上みんな負担を言うことは出来ない。

 

 肢体協会は、それらのことをしてないので助成金をなぜ多く受け取るのか、という主張であった。

 

 盲人協会からは、役員会議1つ開くのででも大変で、市内各所から「てびき」を頼んで集まるが、お礼も出来ないし、今の社会の動きを知るためにさまざまな取り組みをしているのに費用がかかって、鍼灸の仕事をしている盲人の生活からこれ以上負担を言えないと言う。

 

  みんなも同じ わしらの団体も同じ

 

 すると身体障害者連合会会長であり、肢体協会の会長は、いつものごとく

 

「みんなも同じ。わしらの団体も同じことだ」

 

と言った。

 

 いつもなら、ここで話は終わったらしいがその日はちがっていた。

 

 

宇治市手話言語条例 ろう学校の先生が手話を知らんから楽しいろう学校生活過ごせたんや

f:id:sakukorox:20180324122744j:plain

手話を知らない人も

                    手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  Kさんが宇治市手話言語条例のコメントで ろう者同士で話すため自然に手話を覚えました、と言うのには数え切れないほどのろうあ者の哀しみと非人道的扱い、障害者間の対立と侮蔑の投げつけ合い、障害者問題を排他的に考えるのではなく一致点で連帯して考える行動などさまざまなことが織り込まれ人間連帯の模様が描き出されているようにも思える。

 

いつも噛み合っていない
口話法がよいか、手話法がよいか

 

 1960年に書かれた口話法がよいか、手話法がよいか、という熾烈で激烈な理論的、実践的論争。

 

 それが変形して、論争が続いている様子を見かける。だがこの論争はいつも噛み合っていないから不思議である。

 

 もともと一人の人間がこの複雑な世の中で、人間としての権利の享受を全とうして、生きていくという大テーマの内容は想像するだけでも困難なもの。

 

 教育の方法論だといっても、口話法、手話法だけで律し切れるものではない。

 

ろう学校の教師が手話を学べば
 ろう学校の生徒が

   授業が理解出来るかのように

 

 ろう学校の教師やその他の人々が「ろう学校では、手話は禁止された。」ということを理由に「ろう学校に手話を」と主張し、ろう学校の教師が手話を学べば、あたかもろう学校の生徒が授業が理解出来るかのように教育の一方法だけで教育内容が向上するかのように短絡的に主張する傾向が強くなっている。

 

  だがそれならばその根拠と立証をしなければならない。

 

これ以上手話を使って

          干渉されたらたまらん

 

  Kさんは、50年以上前から「ろう学校の先生が手話をしてほしい」と言うことに対して、

 

  「いらんいらん」

 

 「これ以上手話を使って干渉されたらたまらん」

 

 「ろう学校の先生が、手話を知らんから楽しいろう学校生活過ごせたんや。」

 

「手話を覚えたら言うこと決まってる、もっと宿題してきなさい、」

 

「静か?に」

 

「勝手な話をしないで」

 

「そんなことばっかり言うだけや」

 

「勉強はそっちのけ」

 

「勉強分かるように教えてくれないのに、叱るのがふえるだけ。」

 

 何度もこのようなことを言い続けていた。

 

  ろう学校の教師が手話を覚えると快適なろう学校生活が送れなくなるというKさんの話を傾注して教育とはなにかを考えてきた。

 

宇治市手話言語条例  (施策の推進)
第5条本市は、次の各号に掲げる施策を総合的かつ計画的に推進するものとする。
⑷学校等が行う手話及びろう者への理解の促進に関する活動の支援に関すること。