(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
淡々とした手話と手話の流れ
と間の時間から
重い課題を読み解かなければならない
和裁、文選工、旋盤工という仕事についた佐々木さんの人生には、戦争という巨大な影が待ち受けていた。
生き残ったから運命を感じることが出来たのだろうか。
ほんの一瞬で大量虐殺された長崎の街。
この一瞬ですべてが破壊され眼前が消え失せるという惨い事実は、主に視覚に依存するろうあ者だからその恐怖は瞬時とともに過去の映像と重なり合ってじんわりとした恐怖がヒタヒタと押し寄せるようでもある。
呆然。
街の一瞬の出来事を語ってくれる聞こえない人々の証言は、あまりにも淡々とした手話描写である。
だがしかし、この淡々とした手話と手話の流れと間の時間から私たちに一瞬の出来事による生死というあまりにも重い課題を読み解かなければならないのだろう。
路面電車 窓越しの友人との会話
ひとは予感と言う人もいるかもしれない。
佐々木さんは、思案橋までの道のりで、思案して仕事を休んで体を休めることを決意する。
だが持って出た弁当。
食べるには早すぎた。
路面電車の窓越しに次々と聞こえない友人の顔を見、手話で話しながら佐々木さんの乗った路面電車は通り過ぎる。
ヤッ、ヒサシブリ・ドウシテタノ・ゲンキと手話で語ったかどうかは分からないけれど、同じ長崎に居ながら合うことの出来なかった友人と次々と再会する佐々木さん。
仕事を休むことのゆとりは、友人との再会を誘い起こす。
ホットしたひととき、友人との語り合いたい多くの話。
手話にまさにエンジンが掛かったとき、何もかもが見えなくなって灼熱の世界に投げ込まれる。
壊れたガラス。
破れた障子。
うろたえる佐々木さんたちに聞こえる人が指さしたものは、みたこともない珍しい雲が昇っているところだった。
2時間ばかりその雲を眺めていた佐々木さんは、その雲が次第に上昇し巨大化する様子を克明に証言してくれる。
見て確かめたい
聞こえる人もそう思う
以上に聞こえない人に強烈
ナンダロウ。ドコニ落ちたんだろう。
人一倍好奇心の強い佐々木さんは、探索しようとする。
原因を、見て確かめたい、聞こえる人もそう思う以上に聞こえない人に強烈である。
危険地帯とは分からなかったにしても、逃げることなく、逆に逃避しようと必死になっている聞こえる人々の群れをかいくぐって、ひたすら爆心地に向かう聞こえない人々の話。
佐々木さんは、悲惨な情景を目にしながらも一旦家に帰って、必死になって止める母を振り切って。それでも爆心地点を探そうとする。
長崎駅まで出かけたものの建物もなくぐるりと回りが見渡せられるようになった光景と共に身体を溶かすような稲佐山方面から流れてくる熱風。
先に進めないと考えながらも、それでも佐々木さんは、被爆後の長崎の爆心地方面を見据える。
煙が立ち上り見えなくなった眼前。
赤く燃えるちらちらした炎。
30分刻みぐらいでその煙の向こうからやってくる被爆者。
まさに地獄以上の状態に化けた長崎の街。
その生き地獄を佐々木さんは眺めながらも自ら恐怖心を強く抱く。
どんな中でもいたわり合い助け合う人間の姿を見忘れていない。
極限の事態
傷つきながらも助け合い静かに歩く姿
佐々木さんの胸を熱く打ったもの。それは中学生と女学生が助け合う姿。
人々がわれ先にと自分のことを最優先させる非常事態。
生きるか、死ぬか、という極限の事態。
それでも若い男女の学生が、傷つきながらも助け合い静かに歩く姿をみて、込み上げる熱き深い感動を覚える。
この証言の部分を手話表現をイメージして私は何度も読んだ。
短い文を何度も読むにつれ映画のワンシーン、一コマ一コマのフイルムに映し出された情景が浮き出てくる。