Ⓒ豆塚猛
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開 個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。
質問
筆で描かれていないところにこの方の描き方、壮絶な人生の中で獲得された手法と説明されていますが。
直方 鞍に乗るという表現 石炭の狸掘り
地下から地上への荷担ぎ運搬 選炭などの手話
元手話通訳問題研究編集長
そうです。
死んでもおかしくない状況で考え抜かれた絵が、田代さんの絵なんです。
その前に少し。田代長久さんは、直方に住んでおられたのですが、手話で「直方」は、鞍に乗るという表現でした。
例えば、人差し指を前に出して、片方の人差し指を中指を少しひろげて、中指に載せるなど。
「直方」の漢字でも読みでもないのに不思議でしたが、かって鞍手郡に属していたので「鞍」と「手」を組み合わせた手話だったかも知れません。
地域の地名やその土地の産業などの記録保存が出来なかった残念さは残ります。
直方は炭鉱地帯のひとつでかって炭鉱と石炭労働者が住んでいたところ。
ろう学校にも行けないろうあ者は、狸掘りから地上への荷担ぎ運搬、石炭を洗うなどの選炭をしていた方が多く、その手話は、今でも覚えています。
田代長久さんは、炭鉱で働く聞えない人々の生活も充分知っておられ、それだからなおのこと自分の果たす役割と人生を鋭く見詰めておられたようでした。
英彦山に隠りきりになって
死ぬ目に合いながら描き続ける
質問
炭鉱で働くかたの壮絶な絵を描かれていたのですか。
元手話通訳問題研究編集長
そうではありません。
描くことの中に自分を没頭されていました。
描くのは日本画ですから山水画がもとめられたのですが、田代長久さんは描けなかった。
そこで、日本三大修験山とされる、羽黒山(山形県)・熊野大峰山(奈良県)と九州の英彦山で「修験」ではなく画の修行をされたと言われるのです。
岩や岩山が林立する中に飛び込んで、食うや食わずで死にそうになりながらも自然と対峙いて絵を描き続けた。
水を飲むだけの日々。
厳しい自然。
そそり立つ断崖絶壁。
自分では生きていると思えなかったとまで言われた。
そこまで自分を追い詰めて絵を描く、絵の「修行」をされたと手話で語られました。
手話で表現された景色と絵はまったく同じ
手話通訳は「音声のことば」で言い表せないこともある
情景を画く手話の前では
質問
手話でその時のすべてを語られたのですか。
元手話通訳問題研究編集長
そうです。
でも、その手話は手話通訳できなかった。
後でその時に描かれた絵を見せてもらうと「見た手話で表現された岩肌や山々」がそのまま私の頭の中で甦って来ました。
手話で表現された景色と絵はすべて同じだった。
質問
手話で表現された景色と絵はまったく同じだった、と言われましたが、そんなことがあるんですか。
元手話通訳問題研究編集長
あるんです。
音声のことばで言い得ないことが。
情景だけが脳裏に残るだけのことが。
情景を「音声のことば」で言い表せないことは、その後、数多く経験しました。
手話通訳は、すべて通訳出来ることは不可能な場合があると‥‥‥