手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

絵に凝集させた世界 明治、大正、昭和と生きて ろう学校の教師になり退職した今の人生

                               Ⓒ豆塚猛

communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

質問
 田代長久さんの写真は、1985年の手話通訳問題研究に掲載されていますね。


 この時は、74歳と書かれていますが、もうろう学校を退職されていますね。

 

 明治の末頃に生まれて小学校の時に失聴されたということですから大変な苦労をされたのでしょうね。

 

  時代の変遷の中で生き抜く

   とくに兄は大きな援助と教えを

 

元手話通訳問題研究編集長
 そうです。


 時代の変遷の中で生き抜き、ろう学校の教師になった。
 私は多くの人々に支えられて生きてきた、特に兄は‥‥‥

と話された。

 

  兄は著名な衆議院議員 大きな影響を受け 

 

 もしかして


「お兄さんは国会議員の‥‥‥」
「娘さんは大学で心理学を学ばれて‥‥‥」

 

と聞くと、田代長久さんはとても驚かれて「そのとうりです。」と答えられました。

 

 兄はとても親切で、今の私があるのも兄の援助となどとても大きな影響を受けましたとも話された。

 

 私もびっくりして、田代長久さんの姪御さんと同じ学び舎で出会っていたらと知って絶句しました。

 

 田代長久さんの姪御さんから、父親が日本の平和と民主主義、炭鉱労働者の問題などを衆議院議員として取り組んでいたことを聞いていたので国会議員としてのお兄さんのことはよく知っていただけに、感激で‥‥‥

 

質問
 意外な出会いだったんですね。

 

他人が真似ようとしても真似ることのできない
   世界の絵を描かれたのではないと

 

元手話通訳問題研究編集長
 意外も意外。

 

 信じられない状況でしたが、お兄さんも田代長久さんもとても熱心に学問に打ち込まれるかただったようなのでその到達が。田代長久さんの絵にあると私は考えています。

 

 豆塚猛氏は、文中で田代長久さんが

 

「他人が真似ようとしても真似ることのできない世界を作りあげています」

と書いて田代さんの画く世界を表現していますが、この

  「他人が真似ようとしても真似ることのできない世界を作りあげています」という捉え方と違います。

 

質問
 違うんですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
 違います。