communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開 個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。
質問
他人が真似ようとしても真似ることのできない世界を作りあげていますという捉え方と違います、と言われるわけは、
他人が真似ようとしても真似ることのできない
世界ではないわけ
元手話通訳問題研究編集長
田代長久さんは、他人が真似ようとしても真似ることのできない世界、を画かれたと言うよりは、そういうところに到達されていたのかも、というほうが正確な気がします。
ろう学校の先生としても、絵を描くひとりとしても、自分の技法や表現は誰でも画くことが出来ると言う想いは持っておられたから、あの文の表現は適切ではないと思っていました。
断定的表現ではなく、そこまでに‥‥‥などの緩やかな用言が出来るようにと思っています。
「看た光景」を画くための手段
質問
そうなんですか。そう思われるのは‥‥‥
元手話通訳問題研究編集長
田代長久さんは、自分が画いた絵をほとんど見せてくれましたし、文中で豆塚猛氏が「田代さんは好んで竹の筆、ナスの筆を使います。
他の日本画家とは「全く異なる面風」と描かれていますが、たしかにナスの根っこの「筆」やさまざまな木々や草花の根っこを乾燥させてそれに墨や岩絵具を付けて画かれていました。
でも、それは田代長久さんが「看た光景」を画くための手段だったと思います。
質問
「看た光景」を画くため、と言われるのは。
元手話通訳問題研究編集長
私は、それまで何万と言ってよいぐらい全国のろうあ者・ろうあ協会の人々と手話を通してコミュニケーションをすすめてきた経験がありますが。
どうしても、情景や意味が解らないとき、絵を画いて説明していただいたことが多々ありました。
その時の絵はとてもリアルで、とてもわかりやすかった。
細部まで画かれて話される情景だけがわたしの脳裏に残った記憶が多くあります。
質問
細部まで画かれて、いたんですか。
手話はコミュニケーション
それと並行するコミュニケーションの絵
元手話通訳問題研究編集長
そうです。
手話はコミュニケーションですが、それを補完する絵ではなく、絵そのものも手話と並行するコミュニケーションだと思っていました。
だから、田代長久さんが画かれるのは、「看た情景」や自分が注視したものを筆では画ききれないのでナスの根っこの「筆」やさまざまな木々や草花の根っこを乾燥させてそれに墨や岩絵具を付けて画かれてるだけでなく筆も組み合わせて画かれておられたように思いました。
取材後、お礼の手紙とこころばかりの品物を送りましたが、それ以上の多くの絵が送られてきました。
そこには、筆と草木に根っこを筆にしたものが絵が画かれ、鋭い切りたった崖や嶺は画かれていませんでした。
この絵は、全通研の会員の方々に贈ったので私の手元にはありませんが、田代長久さんからのメッセージが籠められていたように思えてなりません。