手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

紀州藩の時代から伝わる鮎を捕獲する漁法を引き継ぐろうあ協会のかたの出会い

                                                                                                    Ⓒ豆塚猛
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

紀州藩時代からの鮎取りの漁法をしている

       ろうあ協会のかたがいる

 

nterview
 鮎と紀ノ川のはなしですが、どうして、どういう理由でグラビア写真を掲載あれるようになったのですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
 全通研和歌山支部の方からはなしを聞いたのです。

 

 紀州藩時代からの鮎取りの漁法をしているろうあ協会のかたがいると、聞いて、すぐ連絡と取材の許可をとってほしいとおねがいしました。

 

 あの時代は、全通研の仲間もろうあ協会の仲間も誠実に必死になって手話を広めること、手話を知ってもらうこと、理解してもらうこと、手話通訳がいつでも依頼できることをねがっていました。

 

 ただただ純粋に純朴に。

 

紀州藩時代からの鮎取りの漁法を取材して、その伝統とそれを引き継ぐ姿の中に聞こえない人も居る、それを記録しておきたかったのですが。

 

落ち鮎の時期に獲る漁法

 

nterview
 紀州藩の時代から伝わる鮎を捕獲する漁法がこの写真だったんですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
 いや違うんです。

 

 その漁法は、落ち鮎=産卵のために下流に下る鮎を捕るときの漁法で訪れた時は、訪れた時はその時期ではなかったんです。

 

とにもかくにも  こころあたたまる人格を持った人びとばかり

 

 そのため投網で鮎を捕って、私たちにご馳走していただいた。

 投網の写真です。

 

手話通訳研究誌作成に協力していただいた方のすべては、こころあたたまる人格を持った人びとばかりで感謝のしようがないほどでした。