手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

手話が激しい弾圧を受けていない、と言いきれるのかという自問自答であると同時に「他問他答」

   communion of mind with mind

 2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開
  以下連載して掲載させていただくのは、2000年から2001年の2年間元手話通訳問題研究編集長へのinterview(以下 質問 で表記)の一部を公開させていただく。interviewについては、個人名やさまざまな評価もありそうに思えるのですべて実名ででなく、必要な場合は、イニシャルで表記させていただくことにしました。御存命の方なら誰のことを言っているのかお解りになると思います。熟慮して実名は出さないことにしたので御理解ください。なおinterview一部公開上、話されている写真等は、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

  手話を学ぶ人、学ぼうとする人が増えた背景
 ろうあ者のねばり強い血と汗と苦しみのエネルギー

 

質問
 1981年の手話通訳問題研究誌の編集後記に以下のことが書かれています

 

 現代は手話ブームだと言われるが、はたしてそうだろうか?
 たしかに手話を学ぶ人、学ぼうとする人は10数年前と比べることが出来ないくらい爆発的に増えてきている。
 この背景には、ろうあ者のねばり強い血と汗と苦しみのエネルギーがあったことを忘れてはならない。

 

と書かれていますが、今もそのように思われていますか。

 

  定説」とならなくなった
手話の出来る健聴者は「ろうあ者の良き味方」でもある

 

元手話通訳問題研究編集長
 今もそう思い続けていますし、このことは消せない歴史的事実だと思い続けています。
 手話通訳問題研究誌に手話が「ろうあ者のねばり強い血と汗と苦しみのエネルギーがあったことを」掲載しきれたとは決して思っていませんが、その想いは編集の中で貫いてきたと思っています。充分だったと言いきれませんが。
質問 さらに続けて書かれていますね。

 10数年以前は、手話が激しい「弾圧」を受けていたこともあり、手話の出来る健聴者は、手話を学ぶこと、使うことすら大変勇気のいることであった。
 そのため手話の出来る健聴者は「ろうあ者の良き味方」でもあったし、過去の事実はそのことを裏打ちしていた。

 しかし、手話を学ぶ人々の増加とともに、このことは必ずしも「定説」とはなり得なくなり、手話通訳者の評価をめぐっての論議は激しく進んできている。

 

  手話通訳論
ろうあ者の生活と離れたところで論じられてはならない

 

 確かに時代の流れとともに新しい「手話通訳論」が必要になっているが、それはろうあ者の生活と離れたところで論じられてはならないだろう、と。

 

質問

 この手話が激しい「弾圧」を受けていたこともあり、手話の出来る健聴者は、手話を学ぶこと、使うことすら大変勇気のいることであった、と書かれているのはろう学校で手話が禁止されていたことなどを、激しい「弾圧」を受けていた、との思いで書かれたのですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
 いやそうではありません。

 たしかに手話口話をめぐって非人間的なことが多々ありましたが、必ずしもそれだけではない。

 歴史を紐解いて研究すると、ろう学校教育で手話を認める先生と口話を認める先生との激しい対立があり、それが生徒たちに反映したり、社会的に反映したりしたこともありました。

 

  手話通訳をしていると

「ろう学校の先生ですよね」と言われたが
 

 例えば、私が手話通訳をしていると「ろう学校の先生ですよね」とか「ろう学校の先生」と決めつけられたことがほとんどと言えるのではないでしょうか。

 

 ようするに「ろう学校の先生は手話が出来る」という考えが社会生活上多くの人々が思い込んでいたことがあった。

 「ろう学校では口話ですよね」と言う人と会ったことはありませんでした。

 

 そういう社会的認識が、私の経験した範囲ではすべてでした。

 

問い 

では「手話が激しい「弾圧」を受けていたこと」とは、具体的にどのようなことで言われているのでしょうか。

 

その人に関わる手話通訳をすると
  態度が急変して威圧的高圧的

 

元手話通訳問題研究編集長

 手話通訳をしているとろう学校の先生ですよね、という人たちが、いざ、自分に関わる問題、例えば商売や仕事のことでろうあ者の人たちが手話で話をし、それを通訳すると、途端に態度が急変することが度々ありました。

 

 逆鱗に触れる、と言ったほうがいいように思えるのですが。

 「途端に態度が急変」して威圧的高圧的になり、意味不明な怒りの砲火をろうあ者の人々も私も浴び続けることが忘れきれないほど多くありました。

 手話が激しい「弾圧」を受けていたこともあり、と書いたのはそういうことも包括して書きました。

 

 手話が手話として、社会的に理解されているようで意図的に錯誤されていた時代を言い現したつもりですが。

 

 そういう意味で、現在は「手話が激しい弾圧を受けていない」と言いきれるのか、という自問自答であると同時に「他問他答」と思い続けてきました。