手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

どんな名前にしてもいつしょ 悪くとる人は悪くとる

f:id:sakukorox:20180521130450j:plain

手話を知らない人も

                 手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 辛い時間。哀しみの時間のみが一瞬永く流れた。

 

ことを荒立てないでお互い支え合っていた
    聴覚障害のお母さんたち

 

 だが、お母さんの言うことばの端々から身体障害者手帳を申請するときに「先天性○○○」と医者から言われて何も言えなかったことやその後沸々とわき上がってきたあらゆる感情をぶちまけていることが見て取れた。

 

 お母さんは、自分の子どもが口話で普通校で充分学習出来て、好成績であるといつも他の聴覚障害のお母さんたちの方に「自慢」されていることはよく知られていた。

 

 でもその内実は、他の聴覚障害のお母さんたちは充分承知していたが、事を荒立てないでお互い支え合っていた。
 
見るに見かねたお母さんが
  いくら障害名を変えても、同じよ

 

 福祉事務所の窓口で、お母さんは長く泣かれた。みんなは戸惑うばかりだった。

 

 気持ちには共感出来ても、言いようもない時間と哀しみと怒りの空間。

 

  人垣の輪はどんどん大きくなった。

 

  見るに見かねたお母さんが、泣いているお母さんの所ににつかつかと寄って

 

「うちの子も同じ障害名やけど…」

 

 「いくら障害名を変えても、同じよ」

 

どんな名前にしてもいつしょ
      悪くとる人は悪くとる

 

 「悪くとる人は悪くとる。どんな言い方しても、どんな名前にしてもいつしょ。」

 

 「私は、このことで動揺したり、責任を感じたりしない。子どもにもきちんと説明出来る。」

 

 「もう、帰ろう」

 

と言われた。

 

  すると他のお母さんも

 

「そうやで、同じ、同じ、そのことにこだわらんと生きて行かんと。」

 

と言い始めた。

 

障害名の先天性○○○を今すぐ消してほしい

f:id:sakukorox:20180521125630j:plain

手話を知らない人も

                   手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 障害児の親の会の市議会の陳情があった日のこと。
 
 陳情が終わったお母さんたちが数人福祉事務所を訪れた。

 

 ひとりのお母さんが、身体障害者手帳を示して

 

「この障害名の、先天性○○○という、先天性を消してほしい。」

 

と言われた。

 

 こんな名前では
   うちの子はお嫁に行けません

 

 障害者手帳に先天性とあえて書く意味はないことは承知されていたが、

 

 しかし、「あの‥‥‥福祉事務所で、その部分は変えられないんです。」

 

 「医者が書いた名称で申請されて、京都府から手帳が交付されるからです。」「交付には審査があって……」

 

 「こんな名前では、うちの子はお嫁に行けません。変えてください。」

 

お母さんは、泣いて激しく声を荒立てられた。周りのお母さんたちは、ハラハラして見ていた。

 

 自分が原因でこの子を産んだことになる
    というのが「先天性」

 

「障害名の変更は出来ますから、この変更書類とお医者さんの診断書をもらって……」

 

と言うとそれまでの恨み辛みをぶちまけるように、

 

「今すぐ変えてください!」

 

とお母さんは泣き続けた。

 

  もう大変な騒ぎになって、お母さんの回りに人垣が出来た。

 

  お母さんは自分が原因でこの子を産んだことになるというのが「先天性」であり、このことは遺伝する、と思われる。

 

娘が結婚ししようとしても「先天性」であったらまた障害児が生まれるから、と結婚を断られる。

 

  だから、この文字は消してほしい、と何度も何度も泣くばかりだった。

 

 

優生保護法に基ずく不妊手術をやめさせていった力  忘れるなかれ「優生保護」などの不当と闘ったろうあ協会の歴史

 f:id:sakukorox:20180517212623j:plain

手話を知らない人も

                     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 公衆衛生(Public Health 地域社会をとおして国民の健康を保護増進する活動。)担当の衛生部では、各保健所の乳幼児検診や保健衛生指導、京都府立健婦学校などで障害児者の学習と理解と配慮が徹底されてたことは、非常に大きな意味を持っていた。

 

 でも、このことはこれ見よがしに強調されることもなく衛生行政の当然の仕事として淡々とすすめられていたことは後に知っていくことになる。

 

 伝染病や病気の予防と
     障害児者が産まれないすること
          を別次元のこととして

 

 伝染病や病気の予防と障害児者が産まれないすることと別次元のこととしてしっかり踏まえられていった。

 

 当時から妊娠中の羊水チェックなどなどで妊娠中に障害児が生まれる可能性が「予見」出来ることなどが話題になっていた。

 

 だがそれですべての問題が解決することでないことは、公衆衛生分野の府職員が専門的知識も駆使しながら障害児者の基本的人権生存権などを解りやすく説明された。

 

 ろうあ者も妊娠初期から、出産、育児、各種検診などに積極的に参加してさまざまな疑問や質問を保健婦(当時の名称)などに投げかけるとともに多くのお母さんたちと悩みと喜びを共有するようになっていった。

 

行政の財政がないことを

       理由にするまやかし

 

 優生保護法に基ずく不妊手術がどれだけ多くの人々に苦しみを与えているかという問題を京都府などが先頭を切って府民に知らせていった。

 

 この取り組みは、大きな影響をろうあ者のみならず障害児者や家族、親類や地域の人々に大きな影響を与え、優生保護法に基ずく不妊手術がどれだけ非人道的な問題であるのか、行政の財政がないことを理由に「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、産まれないようにするのが基本である」ということが、以下にまやかしであるかが明らかにされて行った。

 

 優生保護法に基ずく不妊手術を法律はあってもそれをやめさせていった力が障害者の自覚した取り組みであったことを決して忘れてはならない。

 

 だが、現在そのことも消され類似的な問題が次々と発生しているのではないだろうか。

 

 過去に戻らせてはならない。

 

未来の保健婦さんなどなどに障害児者の学習の機会 忘れるなかれ「優生保護」などの不当と闘ったろうあ協会の歴史

f:id:sakukorox:20180517205219j:plain

手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  えっ……私たちが
  京都府庁でビラをまいたのは……

 

 京都府職員組合(後に京都府職員労働組合と名称変更・略称 府職労)との話は、京都府の幹部交渉とはまったく違う雰囲気だった。

 

 でも京都府で働く人。

 

 ろうあ者の多くはきょろきょろしながらも話に加わっていった。
 
「えっ……私たちが京都府庁でビラをまいたのは……」

 

 ろうあ協会事務局長は、ビラの内容と京都府の福祉対策と言われている基本的問題とろうあ者のねがいを説明した。

 

率直な意見
 うちとけた雰囲気

 

 府職労からは

 

「手話通訳や手話通訳保障のことは分かるが、その他のことは分っていないので……」

 

と率直な意見が出された。

 

 そのことはうちとけた雰囲気を醸しだし、話し合いは和やかにすすんだ。

 

 労働組合ってどんなことをする団体かも知らないが、話を聞いてもらえて、お互いの要求が交流できるならそれでいいじゃないか、とろうあ協会の参加者は喜んだ。

 京都府庁で働く職員としては、住民から出されてくるさまざまな要求を知りたくても、机上の事務作業で、要求の意味や要求が出されてきた背景・実態を充分知りにくく、それでいて直接住民に関する仕事をしなければならないという矛盾も出された。

 

京都府の交渉に
府職労も参加して欲しい

 

「なるほど。ろうあ協会の話を聞いてよく解りわかりました。
 みなさんが私たちの要求を知り、私たちがみなさんの要求を知ることが出来ればこれほど心強いことはない。」

 

 それに対して「これからの交渉には、京都府の幹部だけではなく、府職労のみなさんも参加してください。また、参加できるように京都府に要求します。」

 

とろうあ協会事務局長は話をまとめた。

 

 障害者団体の行政交渉にその行政の労働組合が参加する。

 

 考えられないことだが、話し合いはみんなのものであり、一部の人々の利益と要求だけではないと言う自然な感想だった。

 

 それから、京都府とろうあ協会の交渉の日程が決まるとろうあ協会は必ず府職労に連絡をした。

 

驚いたのは府職労の役員

 

 驚いたのは府職労の役員だった。

 

 府職労としてそのような経験もないし、ましてやろうあ協会の交渉に参加するとは前代未聞のことであった。

 

 この話し合い以降、他の障害団体や障害児者も多くの意見や要求を京都府に突きつけた、

 

 その後、京都府では、京都府社会福祉対策協議会事務局長の発言は訂正され、衛生部や民生労働部などが府民向けの冊子などを発行。

 

 京都府の各部局で、医療と福祉と教育の正しい連携の方向が模索されていく。

 

 特に公衆衛生(Public Health 地域社会をとおして国民の健康を保護増進する活動。)担当の衛生部では、各保健所の乳幼児検診や保健衛生指導、京都府立健婦学校などで障害児者の学習と理解と配慮が徹底されていくことになる。

 

「予断」と「偏見」一掃の第一歩 忘れるなかれ「優生保護」などの不当と闘ったろうあ協会の歴史

f:id:sakukorox:20180513160430j:plain

 手話を知らない人も

                      手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 「いたずら」と言うことで事が済まされていたろうあ者女性の悲痛な歴史は計り知れないほど多かった。

 

 「いたずら」されたことによる中絶という問題は、また多くの黒い波紋を産み出していた。

 

 それを一掃しなければならない、という機運とろうあ協会の知恵と力が大きくなった時に京都府幹部の「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」と言い切る姿に理性が甦った。

 

 そのひとつが、1969年9月8日。京都。京都府庁で働く人々へろうあ協会が心を込めて配ったビラだった。

 

 ビラを配れたことだけでみんなはうれしかった。

 

 でも、ビラの内容は、京都府職員の心には届かないかも、とも思っていた。

 

え、労働組合!と話し合い?

 

 ビラをまいてしばらくして京都府職員組合(当時:略称府職労)から、京都府ろうあ協会と話し合いたいとの申し入れがあった。

 

 「え、労働組合!と話し合い?」

 

 「ものすごく大きな労働組合らしいなぁ」

 

 「労働組合って何する組合?」

 

 ろうあ協会と労働組合の話し合いなんて過去まったく経験がなかった。


 とまどうろうあ協会

 

  京都府職員組合からは、ろうあ協会のビラは多くの京都府職員に読まれていた。

 

 京都府に働くものとしてろうあ協会の訴えをもっと深刻に受けとめるべきだろう。

 

 京都府の行政の本質そのものが問われている、組合としてろうあ協会とじっくり話し合って組合として取り組む方向をもっと打ち出すべきだという意見が組合執行部に相次いで寄せられたという。

 

どんどん広がっていた波紋

 

 またろうあ協会のビラは、京都府の中で大問題として話題になり、京都府の福祉行政や医療行政を基本から見直すべきではないかと言う意見が出されていたという。

 

 またろうあ協会が提起したことは、多くの障害児者団体に伝えられ、それぞれの団体・個人が要求と行動を起こしていた。

 

 波紋は、どんどん広がっていたのである。

 

 

人間性回復の話し合い 忘れるなかれ「優生保護」などの不当と闘ったろうあ協会の歴史

 f:id:sakukorox:20180513152740j:plain

手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  ものごころがつかないうちに不妊手術がされていた、盲腸の手術といって病院に連れて行かれたのが、不妊手術。 お父さんやお母さんは、私を騙した。荒れる怒り。

 だが、このことは単にあるろうあ者の個人的なことではないこと理解が出来て、怒りの矛先が原因に向けられるようになったのはろうあ協会の話し合いであったとも言える。

 

 この人間性回復の話し合いの一部は、記録に留めておくべきだろう。

 

 お父さんやお母さんは

     私を騙した、と言うが

 

  ものごころがつかないうちに不妊手術がされていた、盲腸の手術といって病院に連れて行かれたのが、不妊手術、 お父さんやお母さんは私を騙した、と言うろうあ者のに対してある子どもを持つろうあ者は次のように言った。

 

 今、私は、お父さんやお母さんは私を騙した、ひどい目に遭わせたと子どもに責め立てられている。お父さんやお母さんを責め立てるだけでいいの、と。

 

聞こえない人が
私たちを理解していないと言いながら私は

 

  子どもたちは、ものごころつく頃から他の親がすることを子どもなりに必死になってやって来た。

 

 聞こえる子どもが生まれ育ったと知って電話を引いたが、その電話を受け取り、私に知らせってくれるのは子どもだった。

 

 親の私が当たり前だと思っていたが、ずーっと後で、何を言っているのか解らない、理解出来ないはなしをお母さんに伝えるのはとても苦しくて負担だった。

 

 こんなことはもういや、だと思いそんなことがたくさんあって、つもりに積もって、お母さんが嫌いになった、と子どもに言われた時‥‥‥

 

 私は、聞こえない人が私たちを理解していないと言いながら、自分の子どものことを何も考えないで当たり前のようにしていたことに頭の中が空っぽになった。

 

  子どもは、大きくなると家を出たまま帰って来ない。

 

 思えば、あれもこれも子どもに負担をかけてばかりだった。

 

聞こえない女の子だからと
  ひどい目に遭ったことを

 

 お父さんやお母さんがひどい目に遭わせたと言うのは、そうでしょう。でもそれを言うのは簡単。

 

 それで、気持ちが晴れるの、すっきりするの。

 

 同じ苦しみをもっようなことが無くなるの。

 

 騙した、黙っていたお母さんも悪いけれど、お母さんがそこまで追い込まれたのはなぜか考えたことがある。

 

 あなたも知っているでしょう。

 

 聞こえない女の子だからとひどい目に遭ったことを数えきないほど。

 

 妊娠させられたことも。

 

 お母さんは、そんな話は非常に敏感に考える。

 

 許せない、聞こえない女の子だからとひどい目に遭ったことが次から次へと隠されて、それをいいことに被害が広がったことを。

 

 私たちは、深く考えなければならないが、それをなくす取り組みが出来ているのではないでしょうか。

 

  このような話は留まることなく続けられた。

 

胸が張り裂ける怒りと哀しみと嘆き 忘れるなかれ「優生保護」などの不当と闘ったろうあ協会の歴史

 f:id:sakukorox:20180513145548j:plain

手話を知らない人も

      手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 優生保護法に基ずく不妊手術をこの世で誰よりも信頼する両親が同意し、実施されていた。それを知らされないままでいた。

 

手話にならない全身の表現として
    巨大きな哀しみは

 

 巨大きな哀しみは、手話にならない全身の表現として。

 

 喉を振り絞る「声」としてろうあ者から発せられる。

 

 この胸が張り裂ける怒りと哀しみと嘆きが混線した表現は、とても音声や文字やその他の手段で言い表すことの出来ないことであった。

 

 両親や家族もまた「胸が張り裂ける怒りと哀しみと嘆きが混線した表現」だった。

 

 それもまた音声や文字やその他の手段で言い表すことの出来ないことであった。

 

 手話通訳出来ない領域は、あった。

 

 その場にいるみんなが「胸が張り裂ける怒りと哀しみと嘆きが混線」を共有せざるを得なかった。

 

 ろうあ者だけでなく、多くの障害者や「役に立たないと断罪」された人々も同じであった。

 

哀しみや怒りは身近な人々に向けられる

 

 最近、何でも手話と言ったり、ろうあ者の言うことは何でも受けとめるのが手話通訳者だという人々に出会うと、この例えようもない重圧に耐えきれないだろうと思えるが、すべてを過去のこととして振り返ろうとはしないことで、何でも手話と言ったり出来るのではないかとさえ思える。

 

 哀しみや怒りは身近な人々に向けられる。だからかえって感情が先行してお互いが憎しみあうところまで達する事実を率直に見なければならない。

 

 これもまた哀しみの事実なのである。

 

 ろうあ者とともに過ごす家族の「素直な気持ち」をあらゆる避難で封じ込める人は多い。

 

 ろうあ者の対する無理解だ、とかさまざまに言う。だがそう言う人に限ってよくよく話してみると、よくよく調べてみると、無理解どころか軽蔑の深層があることがたびたびある。

 

賞賛しても賞賛しきれない
京都のろうあ協会の果たした役割

 

 お父さんやお母さんは、私を騙した。荒れる怒りの中で両親もろうあ者も涙をとめることが出来なかった。お母さんが悪かった!!許して!!絶叫は多くのろうあ者の家庭で広がった1960年代半ばから1970年代にかけて京都のろうあ協会の果たした役割は、賞賛しても賞賛しきれないものがある。