communion of mind with mind
長崎県、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで投下された原子爆弾が炸裂したその真下で洗濯をしていた少女。
約3,000度の熱。
原爆の爆風により樹木は倒れ焼き尽くされたことから70年は草木も生えないだろうとも言われたその真下で洗濯をしていた少女が居た。
死なないで生きて、眼の前に居る。
アヤキさんと三人は、呆然として時間だけが経った。
ようやくアヤキさんが、
「川で洗濯をしていて、生き残ったの。」
と聞いた。
老婦人は、
「気がついたときは、何もなくなって すべてが真っ黒だった。」
「私だけが そこに居た」
「私は、飛ばされたのだろう。どこに居るのさえ解らなかった。」
「ただ 生きていた。」
「死ななかった。」
「身体もこのとおり、今まで生きてこれた。」
気がついて、それからどうしたのかは老婦人は言わなかった。
そして、
「みず、ミズ‥‥‥」
とこの川にやって来て、死んでいった人ばかりだったと言う。
「みなは 原爆は上空で爆発したから、この場所に巨大な穴が開いていた」
と言っても信じてはくれなかった。
が、スミのようになった人。
人かわからなくなった人。
水も飲めないで死んでいった人。
この巨大な穴に次々と放り込まれていった。
巨大な穴は、死体で埋め尽くされてしまった。今は、土が被せられてお花畑のようになっているこの真下に数え切れないひとびとが埋まっている。
花が咲いて綺麗だ‥‥‥と言う人がいるが、「みず、ミズ‥‥‥」の人に水をあげられなかったので、毎日、毎日、ここに水を持って来ている。
私の話を聞いてくださり、「ありがとうございます、」と老婦人は、言って黙ってしまった。
聞いていた三人は、改めて花の咲き誇る投下地点を見詰めた。