手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
「1954年手話冊子」 第1章 (1)-6
更に、同じ日の出来事について、彼女の偉大なる教師でもあったサリバン先生は次のように述べている。
「彼女には、どんな物も名をもっているということ、そして、手のアルファベットが彼女の知りたいと思っているあらゆることに対する鍵であるということを学びました。
‥‥‥その朝、彼女が顔を洗っていいたとき、彼女は水という名前を知りたいと思いました。
彼女が何らかの名前を知りたいと思うときは、それを指さして、私の指を私の手をそっと叩くのです。
ヘレン、何も持っていない方の
手にw-a-t-e-rと綴り
私はw-a-t-e-rと綴りました。そして朝飯の後までそのことを何も考えませんでした。
‥‥‥(その後で)私達はポンプ小屋に行きました。そして私は、ヘレンにポンプをおしている間、水の出口の下に、コップをもたせておきました。冷たい水がどっと流れて流れ出てコップを充たしたときに、私は、ヘレンの、何も持っていない方の手にw-a-t-e-rと綴りました。
手の上にかかってくる冷たい水の感覚に密接に結びつきついてきた。
この言葉は、彼女を驚かしたようでした。彼女は、コップを落とし、釘づけにされたように立っていました。
新しい光明が彼女の顔に現れてきました。
彼女は数回w-a-t-e-rとつづりました。それから彼女は地上にしゃがんで名前をきき、ポンプと垣根を指しました。そして急に振り返って、私の名前を聞いたのです。
私はteacherとつづりました。
家に帰る途中を、彼女は知っている言葉に、新しい言葉を三十もつけ加えたのでした。
翌朝、彼女は輝いた仙女のように起き上がりました。
今や、すべてのものが名前をもっているはずです。
かわるべき言葉を用い始めるや否や
それまで使っていた
合図と身振りをやめました
どこに行っても、彼女はうちで学ばなかった物の名前を熱心にききました。彼女は友達に綴ることを熱望し、会う人ごとに、字を教えてくれとせびりました。
彼女は代わるべき言葉を用い始めるや否や、それまで使っていた合図と身振りをやめました。
そして新しい言葉を覚えることに、最も生き生きしたよろこびを覚えるのです。そして私達は、彼女の顔が毎日毎日、豊かな表情となるのに気づているのです。」
つまり、彼女は、すべての物が名前を持っているということー言語の意味の真の姿を発見したのであり、彼女は人間的な「意味」の世界に住み得るシンボル機能を了解したのであった。(カッシーラ「人間」)そして言語とは、まさしくこのようなものにほかならないことを、僕達は如実にして想い得るのである。
合図や身振りを
そのまま「手話」と考えることは
まちがいである
ところで「手話」とは一体何であるか。
私たちはここで判然しておかなければならないのは「彼女は代わるべき言葉を用い始めるや否やそれまで使っていた合図と身振りをやめみました」とサリヴァン女史が述べている、合図や身振りを、そのまま「手話」と考えることはまちがいであるという事である。
シンボル機能は普遍的適用性の原理であることを発見するまでの、彼女合図や身振り、又はそういった段階にある、幼児や一般ろうあ児の動作や合図は、単にある物、ある事と、そういった合図や身振りのある種のサインとの間に、固定した連合は出来ているとしても、このような連合の系列は、なお人間の言葉の真の姿と意味を了解させるものではない。
ろう児とその保護者
独特の伝達方法
ろう児をみていると、彼等らとその保護者だろハートの間に、独特の伝達方法がとられている。
例えば「ドンドンと太鼓をうつまね」をすると、学校の先生の事ことであったり「シロ、シロ(白)というと砂糖であったり、「アメ、アメ(雨)だと「おしっこ」であったりする。
又お月様がでている夜「コンバンワ」と教えると、月のない日はそれを云(以下言)わないといった工合である。
そうして、こうした事柄や事物と、サインの固定的な連合の段階に於いては、私達はこれを「身振り」「合図」として「手話」と区別しなければならない。
身振りや合図を
単なるサインとして用いる段階から
人間思考の普遍的な言語としての手話
即ち「手話」とは、この身振りや合図を、単なるサインとして用いる段階から、人間思考の普遍的な言語として、もっともこれは言語記号以外の触覚記号を以てするシンボル的表現(言語)として、考えることができるのである。
ただ、こうした触覚言語は、音声言語に比べて、技術的には著しく不利である。
この点は次章において、明らかにされると思うが、確に不利であるある。
ただし、不利だからといって、その根本的なシンボル的思考や表現の発達を妨げるものではないであろう。