手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

ろうあ者の自動車免許の獲得の広がりと課題 第7回全国手話通訳者会議1974年

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手話を知らない人も

                 手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  第7回全国手話通訳者会議 第1分科会 

     手話通訳の実践について

   

       歌を手話にかえて

 

   歌

青  森
 市民集会で歌を手話にかえてやった。その他各地で実施している日曜教室の実態が出された。

 

  ろうあ者の運免獲得と通訳活動について

 

広島
 適性検査に合格した人はろう学校でまとめて自動車学校へ申し込む。
 初め県の学校へ申し込んで断わられた為, 直接ろうあ者が民間の自動車学校へ交渉して認められた。

 

   ろうあ者が免許をとってからの技術指導
  事故をおこした時の補償の問題等を考え

 

 今年の4月から始めて5人免許をとった。
 通訳は2名ずっ交替でもみじ会が自主的にやっている。父母の会と県から補助金がもみじ会にでているのでその中から謝礼をだしている。

 

岐阜
 広島と同じ方法でやっている。
 4月で4人とった。 通訳は嘱託の通訳者が出勤しない日だけ通訳している。3日間だけ。 学校側は必ず通訳者を付けて欲しいと言うが応えられない。

 

東京
 通訳は, 手話通訳派遣協会があるので一対一で自由な時間を選んでやっている。

 

福井
 ろうあ者が県へ陳情に行つた、今年の4月で県職員の異動があつた為,話がとぎれてしまった。

 

宮城
 どこで責任もつのかわからない。

 ろうあ協会が先頭に立つて, ろうあ者が免許をとってからの技術指導, 事故をおこした時の補償の問題等を考える会を創設した。

  ろうあ者全員入会するようになっている。現在50人獲得者がいる。
 
栃木
通訳の間題  県に50名登録してあるが実際にすぐ通訳できる訳ではない。

 

映画と字幕と劇の手話通訳 想像を絶する苦労 第7回全国手話通訳者会議1974年

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手話を知らない人も

             手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

第7回全国手話通訳者会議 第1分科会

                       手話通訳の実践について

 

2.   ろうあ者の文化保障について

 

(1)  ろうあ者にも,  もっと広域な範囲の文化を保障するべきである。

  各市の実例

映画(字幕付)

 

東  京
 昭和46年度から東京都映画協会とろう団体と通訳者と相談してやっている。予算の関係でろうあ者の希望どおり作れない。4ケ所巡回して映画会を開いている。今年から文章力を身につけさせる為に国語教室を開いている。

 

京  都
 ろうあセンターの文化的な事業としてろうあ者の要望で映画を通訳付でやった。3人で交替しながらやった。 事前に録音して勉強したり何回も見に行つて勉強した。

  又別に, ジャンポテレビを購入して普通のテレビと通訳を別々にビデオにとり一緒に放映する。

  画面が大きいので通訳が見やすい。

 

大  阪
 字幕付映画を東京からかりてやった。反省会の時,字幕の消えるのが速くて意味がわからないので国語教室を開いている。

 

山  梨
 東京から字幕付映画をかかりてやった。 わらび座公演。

 

栃  木

 事前にわらび座の人と相してて舞台と通訳と同時に見える場所を決めた。

   昔のことばが多いので通訳がむずかしかった。

 

 

 

研究会としての性格を充実させ続けているだろうか 全国手話通訳問題研究会 第7回全国手話通訳者会議1974年

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手話を知らない人も

             手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  多くの方からご意見をいただいた。その中で少し食い違いがあるので説明しておく。

 

  全日本ろうあ連盟は行動と運動をする団体
   全国手話通訳問題研究会は研究団体

 

 全日本ろうあ連盟は、ろうあ者によって組織された、ろう者の人権を尊重し文化水準の向上を図り、その福祉を増進する、ことを目的としているのでその実現のためにさまざまな行動と運動をする団体である。

 

 全国手話通訳問題研究会は、結成当時とその様態は変わっているがあくまでも研究団体。

 

 全日本ろうあ連盟とは全く異質の団体である。

 

  運動団体のように行動をすると
 研究団体として逸脱することになる

 

 もちろん、研究会としてさまざまな啓蒙活動に取り組むことある。

 

 だが、あくまでも研究を目的とする団体であってその研究を逸脱して運動団体のように行動をする、と研究団体としての性格を逸脱することになる。

 

 研究会としてつくられた以上はそのことを堅持しなければならないし、社会的には研究成果を還元することで社会的に寄与しなければならないのである。

 

 手話通訳者としての諸権利や身分の向上は、後につくられた手話通訳士協会などがなすべき役割であろう。

 

 手話通訳者協会という名称ではなく、全国手話通訳問題研究会という研究会の名称で結成した以上、全国手話通訳問題研究会は研究会としての性格を充実させていくべきであった。

 

 現状はそうなっているか、どうか、という問題として提起している。

 

 

 

 

日本最初テレビ放映の手話通訳 第7回全国手話通訳者会議1974年

 

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手話を知らない人も

                手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

国民の生活危機に対して障害者の固い団結

 

   第7回全国手話通訳者会議    第7回全国会議の課題

 

 今第7回会議では, 通訳会議そのものを質量ともに成功させると同時に全国手話通訳間題研究会の結成総会を併せ成功させる大きな飛躍の課題を負つています。

 

 昨年以来, 国民の生活危機に対して障害者の固い団結がみられました。

 

 春闘メーデー, 生活防衛の戦いの中で, すべての国民・住民運動の分野でも, 障害者が団結して起ち上つた姿がきわだっています。

 

  共通の生活を守り権利を享受しよう
  という基本的な団結の姿

 

 この姿は, 単なるみかけの障害者同志の団結や一般国民・住民との団結といった浅いものではなく.すべての障害者が国民として,住民として,又,労働者として共通の生活を守り権利を享受しようという極めて基本的な団結の姿です。

 

 私達, ろうあ者問題. 手話通訳間題にかかわるすぺての者についても同様の姿が望まれています。

 

  今会議で昨年一年間の実践と教訓を正しく出し合い, この一年間の運動の方向を確立し持続的な運動の地盤を固めるため, 圧倒的な力で全国組織の結成を勝ち取るため,ともに奮闘しましょう!!                  1974,  6,   2

 

      第1分科会 手話通訳の実践について

 

1.静岡のテレビ通訳付実験放送について

2,ろうあ者の文化保障について

3.ろうあ者の運免獲得と通訳活動について

4.  通訳者のあり方について

5、通訳者技術について

 

                         テレビ通訳付実験放送とろうあ者の感想

 

1,   テレビ通訳付実験放送について

 

(1)動機
 テレビ局ががアメリカの新聞を見てテレビ通訳の事を知り, 静岡ろう学校へ話を持つていった。(注 この部分は正確ではなく、テレビの研修でアメリカに行った担当者がアメリカではテレビ放映に手話通訳者が映り出されることを知って日本での放映を試みた。日本最初のテレビにおける手話通訳は静岡の民間放送局からはじまった。)

 

  ろう学校では,  ろうあ者の成人講座の通訳を見て認識しテレビ局へ通訳者を推薦した。

 

(2) 内容
 いろいろなものが組み込まれている。 (座談会,歌,落語, CM)聞こえる事はすぺてやるが, 目で見てわかる事は画面を見てもらう。

 

 歌は下に字幕を付けてもらって歌つている人の表情やエレクトーンをひいている様子をうつす。

 

 落語は, 2, 3人の会話の場合位置を移動してやった。

 

 ろうあ者からはその通訳者の動きがおもしろかったと言われたが, 以前落語を間いた事のある難聴者や中失者からはおもしろくなかったと言われた。

 

(3)  ろうあ者の感想

 

☆   とにかくうれしい。

☆  指文字はわかりにくい,空書の方が良い。

☆  手話と口話一緒にやった方が良い。

☆100%わかるという訳ではないが,通訳はないよりあった方が良い。

 

      一般視聴者の手話に対する理解が深まる

 

(4) 影響

 

☆  他の番組にも自然と字幕が多くなった。

☆  一般視聴者の手話に対する理解が深まった。

 

       ろうあ者にとってわかりやすい良い番組とするために

 

(5) 今後テレビ通訳を普及させる為に

 

☆  一般視聴者の理解を深める。

☆  ろうあ者,通訳者が今後の問題としてとらえ話し合つていく。

 

(6)  ろうあ者にとってわかりやすい良い番組とする為には

☆  番組内容

☆  画面構成上の局側の技術

☆  手話通訳の技術

 

(7) テレビで政見放送について

☆  ネットワークの間題,各テレビ局の協力が必要

☆  選挙法, 写す部分が何秒と決っているので通訳コーナーを設けた場合の支障

☆  公正な立場でやれるか

 

手話通訳の積み上げられた歴史的検討は現在と未来へつづく 第7回全国手話通訳者会議1974年

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手話を知らない人も

              手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 全国の手話サークルと手話通訳者の全国組織という考えも出されたが、それぞれの都道府県での「諍い」もあり、共同歩調がとれるのかどうかと言う問題があった。

 

 さらに、各都道府県で手話サークルのまとまりをつくって、その代表が全国組織の役員になるという考えもあった。

 

  だが、この考えも各府県の状況が充分確立していない状況では、全国組織をつくってすぐ維持できなく可能性が強かった。

 

 次にだされてきたのが、手話通訳者協会として、全国の手話通訳者を束ねる組織をつくるという考えであった。

 

  手話通訳の方法や技巧に走り
   もとめられている手話通訳

                     方向が見失われる

 

 それには、異議が出された。

 

 ろうあ者問題を充分学ばないで手話通訳の方法や技巧に走り、もとめられている手話通訳の方向が見失われるのではないか。

 

 いや、ろうあ者不在の手話通訳という考えが拡大していくのではないか。

 

 多くの危惧がだされた。

 

 ともかく、全国交流と手話通訳者の身分保障とその拡大を図らなければならない。

 そうでないと手話通訳者が全国に配置されること、その仕事の充実が計れないという意見が出された。

 

  歴史的検討がもとめられている
         全国手話通訳問題研究会

 

 結果的に全国手話通訳問題研究会として個人が会員となり、その会員の拡大とともに各都道府県に支部をつくり名実ともに全国組織とすることがだされた。

 

 以上のこともあって全国手話通訳問題研究会が結成されていくが、全国手話通訳問題研究会は結成当初から緩やかな一致点を拡げていく組織としてというよりも一定の考えの可否をもとめる傾向が一部にあった。

 

 この傾向は、幾度となく修正されていくが、現在全国に支部を確立した全国手話通訳問題研究会が、歴史的経緯を踏まえた方向を維持し続けてきているかどうか、歴史的検討がもとめられているだろう。

 

 この歴史的検討は現在と未来へつづく、重大な大路を形成するのだが。

 

 

手話通訳の全国組織 手話サークル連絡会  だけでいい 新たにつくることはない 第7回全国手話通訳者会議1974年

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手話を知らない人も

             手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  報酬を受けることが
  手話通訳をしている、したと「錯誤」

 

  全国手話通訳問題研究会結成について、第1番目の問題として、手話通訳者の全国組織を創りあげるまで状況は成熟していたのかという問題があった。

 

 手話通訳者が全国的に配置されていなかった問題もあるが、手話通訳している人でも手話通訳者と呼ばれたり、手話通訳している人への反発もあった。

 

 今日、手話通訳をして、それなりの報酬を受けることが手話通訳をしている、したと「錯誤」している人が多い。

 

 家族や職場で、いやいろいろな場面で手話通訳をしている人が多いが、それを手話通訳件数としてカウントしないでいる。それはそれでいいのかもしてないが、何らかの報酬を受けて手話通訳している人だけを手話通訳と言うのは改めるべきだろう。

 

 全国手話サークル連絡会という
     全国組織をつくればいいので

 

  1974年頃には、全国的に手話通訳者が配置されていないという未成熟な状況であった。しかし、手話サークルは、全国各地域でつくられていた。

 

 そのため、全国手話サークル連絡会という全国組織をつくればいいのではないかと言う意見も出されていた。

 

 ところが、ある県に複数の手話サークルが存在し、お互いが協力し合う良好な関係であればいいのだが、対立している手話サークルも多かった。さらに、手話サークルが出来て消えて、また出来てと繰り返す府県も多かった。

 

 手話サークルに郵便物を送っても宛先不明で返ってくることも多かった。

 

  全国発送の郵便代は、大変な負担となっていてある手話サークルだけではとてもまかないきれない状態にあった。

 

 そんなことを考えると、全国手話サークル連絡会という全国組織をつくるという考えは現実的ではなかった。

 

 

成熟していたとは言えない全国手話通訳問題研究会結成 第7回全国手話通訳者会議1974年

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手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  第7回全国手話通訳者会議では、それまでの全国手話通訳者会議を継承して、個人が会員として入会する全国手話通訳問題研究会がつくられ、それが全国組織としての機能をもつとされた。

 

 そして現実に、全国手話通訳問題研究会が結成される。

 

 このことには、いくつかの問題があったが主な点を挙げておく。

 

1,手話通訳者の全国組織を創りあげるまで状況は成熟していたのかという問題がある。
 
 全国手話通訳者会議には、すべての都道府県からの参加があり、充分な討論がされたのか、と考えれば決してそうではなく全国を網羅した状況ではなかった。

 

 また手話通訳者のひとびとの間で一定の共通認識が持てていたか、を考えてみると共通性は未成熟だったと言えるだろう。都道府県市町村での取組には、大きな格差があった。

 

 そこで、先進都道府県を基礎に据えると、未成熟な都道府県の人々はそれに他追随せざるを得なくなるがそこには現実の状況との間でギャップが必ず生じる可能性があった。

 

 でも、それを振り払い先進都道府県を例示に問題を踏まえた方向を打ち出すと、結果的にそれに就いていけない人々を排除することになるという矛盾があった。

 

 その後の推移を考えるとそれまでの自由な意見交流と共通点を見いだすことが出来ないで、一定の考えの基に手話通訳者が分散し、それぞれがそれぞれに自分たちの考えを述べる事態が生まれている。

 

 お互いの違や考えを認め合いながら、双方の理解を認識し、相互理解の中で同一の共通認識を形成する場や時が失われたのではないか。

 

 このことは、手話通訳の歴史のなかでも特筆して記憶しておかなければならない事項だろう。

 

 では、どうすれば良かったのかという問いが返ってくるだろう。

 

 個人加盟の全国手話通訳問題研究会が結成されても、会員でない人や全国手話通訳問題研究会の方向とは違う考えをもつ人々をも含めた全国的な話し合いの場を持ち続けるべきであったと考える。

 

 全国手話通訳問題研究会もそうでない手話通訳団体も個人が、呼びかけて引き続き全国手話通訳者会議を開き続けるべきであったと考える。

 

 考えの違いを排除する手話通訳の方向は、それぞれの違いを際立てるためにどんどんと違いを先鋭化させ、共通認識そのものを消滅させてしまう可能性が充分考えられたからである。

 

 一定の考えがまとまることを是としないで、双方の立場を尊重し合いながら意見を交流し合う場と、とき、はこの時期には必須条件でもあり、それは現在に至るまでの必須条件でもあった。