ろうあ者の権利と手話通訳者との権利が実践的ともすれば対立
3、みみずく会通訳団の五点の提起にも問題が内包していた。
一方、京都の「みみずく会通訳団」の五点の提起は、当時の時代制約を考慮しても少なくない弱点があった。
まず第一に提起そのものが具体的事実に裏打ちされたものではなく、ともすれば「理屈」を先行させた観念的論理と整理された論理が混在していたことは免れない。
(1)ろうあ者の権利を守り、共同の権利主張者としての領域
ろうあ者の権利を守る手話通訳者という概念は、当時の進歩的提起として評価できるものであった。
しかし、ろうあ者の権利と手話通訳者(当時きわめて少ない手話通訳者であった)との権利が、実践的にはともすれば対立し、矛盾する場面がしばしばあった。
例えば、時間制限なき手話通訳依頼。
専門職でないため自分の職業との両立と矛盾、問題などなど多くの問題を整理しないまま、
「どんなことを指して共同の権利主張者」
と言うのかが具体的にまったく明らかにされていない。
広く障害者問題や国民的課題と結合させて位置づけ
(2)一般的なろうあ者問題、および個々のろうあ者のもつ事例の理解者、受容者、進んでは問題探究者としての領域
手話や手話通訳に対する「問題探求」とは言えても専門的研究とは提起できないでいた。
このことは、手話や手話通訳の将来に対する見通しが持てないでいる状況の反映であった。この弱さは現在まで続いているのではないだろうか。
(3)ろうあ運動の発展と展開の中に参加し、他の障害者の生活と権利を守る運動
ひいては民主的な国民運動との連帯の中に立つ領域
ろうあ者問題や手話通訳保障をその領域だけに限定したものではなく、広く障害者問題や国民的課題と結合させて位置づけていこうという方向は、今日の手話や手話通訳の広がりの方向を打ち出したものであり、画期的提起であったが、当時はこのことが具体化されていなかった。
しかし、この考えは、1970年代以降、飛躍的展開を示すことになっていく。